経済学者が戦争を指揮する時代に

西側諸国にとって戦争は投資です。
西側諸国というか、資本主義社会にとって戦争は投資です。

経済学者の宇沢弘文は、シカゴ大(経済学ではとても権威のある大学)の教授にまで上り詰めた人物でしたが、アメリカの経済学者がベトナム戦争に積極的にコミットする姿に辟易して日本に帰ってきたと言われています。アメリカの経済学者が、費用便益分析を使って戦果を計算していたからです。

費用便益分析というのは、投資判断の際に用いられる意思決定モデルで、ようするに、戦争を投資にみたててコストとベネフィットを計算していたようです。人間の命なんて関係ないんです。でも、これはアメリカ人が悪いというより、資本主義(自由主義)がそういうものだってことなんだろうと思います。アメリカにも当時戦争反対の人は沢山いたわけですから。

ベトナム戦争を思想面から支えていた経済学者がウォルト・ロストウという人物で、テイク・オフ理論で有名です。ロストウは大統領補佐官という立場でベトナム戦争を指揮しました。第二次大戦中には情報局にいた人で、根っからの共産主義(ソ連)嫌いとしても有名です。そのロストウ(米)と日本との政治的関係から、宇沢には圧力がかかることになりました(と思っています)。ロストウは沖縄返還を条件に、日本にベトナム戦争への協力を要求したんです。(ということになっています。)

それから、わたしがいつも文句を言っている行動経済学の礎を築いたのがカーネマンという経済学者で、彼の理論が、認知バイアスマーケティングに応用されています。この人も情報局にいた人で、戦争プロパガンダのプロです。行動経済学は戦争マーケティングから生まれた経済学で、だからこそ人間の認知機能の欠陥を調べまくってきた経済学でもあります。昨今のマーケティングが、人間の認識の構造(欠陥)を悪用して行われるのは、こういう経緯があるからです。

さて、わたしは、いつもド素人ながらこのような思想や手法に文句を言っているのですが、それを生み出した経済学者にとりわけ腹を立てているわけではありません。なんていうか、わたしはそういうものが必然として生まれたと思っていますので。ようするに、進歩観念に囚われた資本主義の末路です。このイデオロギーは、戦争すら投資にしてしまうんです。だから、いろんなところで紛争を起こしまくっています。

でもこれ、野菜や果物に農薬をかけまくったり、食品に添加物を入れまくったりしてるのと同じです。他人なんかどうなってもいい、死んでも構わない、というのが資本主義の行き着いた先の答えです。バレなきゃ他人なんて死んでもいいのが資本主義です。アダム・スミスが他者への「共感」を理論構築できなかったからです。わたしたちは、そんなイデオロギーを選択し、その中で生活しているんですよ。そして、そんなイデオロギーが結晶化したのがコロナワクチンです。

アメリカのジャーナリストや鹿先生が言ってることが事実なら、コロナワクチンは他人の生き死にを上手くコントロールしながら金儲けする手法です。でも、この辺りのやり口はフーコーが言ってた通りになったという感じでしょうか。たしかフーコーは、生権力という切り口から、医療の意味を問い直そうとした人でしたよね。そして、大局としてみれば、ボードリャールが言うように、結局、資本主義の行き着いた先の大量消費社会は、家畜の檻を自分たちで作ることに切磋琢磨する社会でしかなかった。

ウクライナ戦争に関連して、西側の投資家や投資機関の実名を挙げて批判する人がいますが、本質論で言えば、そういう投資家が一概に悪いというわけではないんでしょうね。資本主義っていうのがそうさせるイデオロギーなんです。ただもちろん、「ルターから今日に至るまで」そういうイデオロギーをもっともらしく流布して、権力を維持しようとしてきたという意味では悪です。でも、「どんな生徒たちだって、人に対してなされた悪とそれへの復讐について学習するようになるもの(オーデン)」では?

かといって共産主義がまともなの?
まともじゃないですね。教育委員会が平気でいじめを隠蔽するニュースを目にすると、わたしは一瞬目の前が真っ暗になります。教育者が死に物狂いで自己保身に走る姿は本当におぞましいですし、力が吸い取られるような感覚になります。共産主義社会なんてとてもじゃないけど無理だろうなって思います。宇沢が提案する社会的共通資本ですら、結局は幻想ではないの?顔のない官僚的組織がどこまでも悪を働くようにしかならないのでは?そもそも日本の共産党(日本人)にはまるでセンスがない。いつも戦争反対だけは威勢がいいのに、スイフト停止によって日本がロシアに先制的に金融攻撃を仕掛けた事実すら軽々とスルーしました。現代において、戦争を指揮するのは経済学者なんです。

では、これからわたし達は何を目指し、そのために何を選択すべきでしょうか?

おしえません。
わたしは占い師のおばちゃんによればクリシュナの器であり生まれ変わりですが、やはり人類はこのまま滅びるべきではないかと最近考えています。
皆さんの生も死も、今わたしの手の中にあります。
わたしは、もう、この手の中で燃えるかすかな光を握りつぶしてしまおうかと考えています。自滅の軌道に難なく入った人類の今後の歩みをわざわざわたしの力で修正することもないのではないか。

皆さんは死にたいと願っている。なら死ねばいいのではないか。
わたしはそんな風に考えたりもするのです。

おわり



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