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宝石の国を全話読み終えました

 今日はだらしねー1日を過ごしたな。出先で金ないくせに散財してしまったし、堅あげポテト夕方と夜で2袋いっぺんに食べてしまったし。あげく深夜1時を回るまでマンガのイッキ読みをしてしまうなんてね。10代のころすらやらなかったわよこんな無茶。けれどそれも久しぶりの連休だから許してほしいわ!5勤×5週は疲れた!

 宝石の国は大変おもしろく読ませていただきました。市川春子先生連載お疲れ様でした。ありがとうございました。
 私と宝石の国の出会いは、アニメの放送が始まった7年前、つまり25歳のときでした。若。アニメの出来がものすごくよくて、BD全巻そろえたほど。
 しかしアニメから先の展開はまったく知らずに(噂では相当えぐいと知ってはいたけど)、完結記念の全話公開をきっかけに読み進めました。噂に違わずえぐかった。
 というか今の私には、フォスがただのおちこぼれであった最初のころの話からもうすでにしんどかった。

 結局はなんにもできないフォスに若いころの自分を重ねて見てしまっていたからなんだけど。アニメを見ていたころ、私にはグズの自覚すらなかったから、なんとも思わないでいられただけ。
 意図せずに、だけど変わらざるを得なくて、強くなっていってしまうフォスを見て、それはまさしく今の自分が現実と対面する上でやっていることだと思うとしんどいながら強烈な共感を伴った。
 強くなって心まで強くなった気でいても、結局中身がまるっきり変わるわけではないという部分が自分を見ているようで、つらいというよりは安心した。
 「根拠もなく自信のあったころが甘ったれで懐かしい」というようなセリフをフォスが言ったときは苦しくなったが。幼い万能感。
 その後みんなが仲良いだけではいられなくなり、個として生き始める一連の流れは、まさしく人間そのもので、とてつもなくグロいのだけれど、人というのが、己の意思で動く生き物である以上は、こうあるのも自然の流れなのだろうなと悶えながら読んだ。

 私たちが人間である以上は、結局は醜いまま、命尽き果てるまで生きていかねばならないのだろう。
 本当に日々はつらいことの方が多いし、考えまいとしても、感じまいと抑えようとしても、どうしたってイヤな考えや気持ちが湧き起こることはある。だけどそのひとつひとつが自然発生してしまうのならそれも生き物として仕方のないことなんじゃないのかなぁ。
 すくなくとも私はそうやって揺れながら生きてる最中で、自分にとっての最適解を探している途中。
 そういうふうに、些細なことでグラグラしてしまう自分を過剰に嫌っていたけど、それが私にとっての自然な反応なら、かえって抑え込む方が健康によくない。といって、自分が苦しいからって他人を傷つけてはいけないということもよくわかっているつもりよ。だから、自分も他人もなるべく傷つかなくて済むよう、工夫が必要なんだと思う。
 自分ひとりだけを守り続けてもなんにもおもしろくないんだよね。
 さすがにねむくなってきたから寝る。明日は好きなだけ寝ていようっと〜

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