見出し画像

私には友だちなどいません

 だけどそれは当然の結果。

 今日も今日とて孤独に苛まれ、私が極度の人見知りだったのは(今だって擬態が上手くなっただけで、中身は陰キャコミュ障のままである)病気や障害によるものなのだろうか?と思い「極度の人見知り 障害」で検索しては当てはまらずに安心する一方で絶望していた。
 原因があるわけじゃないなら、ポジティブな捉え方をすれば「個性」ということになるが、度を越して内向的なのは、本当にしんどいことばかりでイヤになる。
 気づいたら「友だちがいない」で検索していた。ヒットしたのが冒頭に貼り付けた記事だ。とてもいい記事だった。この前私が考えていたことと似たようなことが書いてあったから、やっぱりそうなんだと思った。人間関係はお互いにメリットがないと成立しないということ。

 私は自分を愛してほしくてたまらなかった。だけどその自覚をはっきりと持ったのは30を超えてからのこと。そして、それがもう二度と手に入らない類のものであると理解したのは最近のこと。そうやって現実に折り合いをつけて、なんとか自分の心をなだめすかして、真人間になろうと努力しているところ。(私の言う「真人間」とは「ふつうの人」のことを指す
。)

 高校生になってマジで友だちゼロ人だった期間がある。一年生の1学期と、二年生は丸々1年間。生粋の陰キャコミュ障で魅力ゼロだったくせに、私はずっと声をかけられるのを待ち続けていた。気持ち悪いな本当に。だけど当時はそういうふるまいしかできなかったのだから仕方がない。しかし、そんな人間と誰が友だちになりたいと思うだろうね?
 そういう社交しかできない人間が、他人と対等に渡り合えるかというと、そんなはずはなく。高校を卒業するころには立派なコミュ障の出来上がりであった。あんなんでよく働いていたな。
 振り返れば私はいつもそう。求めるくせに与えない。「どうして〇〇してくれないの?」みっともなく浅ましいのは私自身のこころ。
 私が30を超えても幼いのは当然のことだった。だって私自身が子どものままで、そこから抜け出す気がなかったのだから。

 他人には気づかわせるくせに、私自身はそれに対して感謝の気持ちをもっていたのか?一方的で的外れな押し付けをして、「返ってこない」などと文句を言っていたのではないのか?
 繰り返しになるが私にはつい最近まで自分が幼い人間だという自覚がなかった。大変お恥ずかしい。
 それに対してあーだこーだ言い訳こくのも大層な恥さらしではないか。いいかげん年相応に大人のふるまいを身につけたい。
 いい記事を読んで改めて目が覚めた心地。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?