米が炊ける音で目が覚める朝
べつに幸せでもなんでもないただの平日の朝。生活を維持するための仕事に、あと2時間もしないうちに向かわなくてはならない。
メンヘラ的思考回路って本当に誰も幸せにならないのに、なんのための思考なんだろって冷静に思った。
冬ごろに上げた記事でも書いたけど、メンヘラというのは、症状からすると境界性パーソナリティ障害のことを指す、立派な病気である。
つまり精神の病は、形を変えて私の中にしぶとく生き残っているということになる。厄介なことこの上ない。
しかし、メンヘラ思考をやっつける方法というのは数多ある。根治は難しくても、一時的に寄り添ったり、または突き放したりすることで、メンヘラはいったんはどこかへ行ってくれることが多い。
本当は頭ではよくわかってるのに、感情が追いつかないことが多くて、未だに些細なことで泣いたり怒ったりしたくなる。
自分と向き合ってこなかったから、それが精神の病となってあらわれてしまったのかもしれない。本来であれば、みんながとっくに終える精神的な成長を、今さら、本当に今さらやっているのは、どうしたって必要だったからだ。私にとってはどんなに今さらでも今が成長期だったということ。
自分自身の子どもっぽさに辟易することはしょっちゅうある。そのたびごとに自己否定したくなる。けれど、自己肯定ってムリにしなきゃいけないものか?と最近は思うようになった。
一番やめたいのは何かというと、人に対して怒り続けることだ。それももうどうしようもないことで、ずっと泣いたり怒ったりするのは、自分でも苦しい。
…依存的にならないようにするには、たくさんの相手と仲良くするといい、という言説は本当に当たっている。そうでなければ、自分が苦しい。
趣味も友人もなく、低賃金で働き、歯医者にも通えないくらい貧乏なのは、しかもそれを維持してしまっているのは、自分がそうすることを選んでいるからだ。
これ、全部変えられる。
二度寝したくなってきたから寝ちゃう。
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