いいか、本当にヤベェヤツにはな、自覚ってモンがねェんだ…

 俺のことです。32歳独身、私の精神は健全とはほど遠い構造をしていたことをここに告白いたします。自覚があるようでなかった。今ハッキリと自覚した。ヤバイのは俺の方。俺は何をするにも人より5年遅い。若いときの5年は老人の5年とはわけがちがう。

 子どものころ散々「どんくさい」と言われて育ったのだけど、本当にどんくさいはどんくさい。現状に危機感を抱くのが遅いし、同級生の中で一番トロくさかった記憶がある。みんながさっさと行動できるのに対して、本当にどんくさいクソガキだったなぁ。
 それならばどんくさいなりに生存戦略を練らねばならないというのに、やはり養われている身分では生きるために必死になる機会などそう訪れるはずもなく。
 本当であればみんな学童期に習い事なり部活なりに入って、「他人との関わり方」を学んでいくというのに、私ときたらそれすらも避けて生きてきたからね。勉学と同様か、あるいはそれ以上に大事なことだったのにね。
 私は頭は全然よくないが、「勉強だけ」は努力すればできるものだと、どんくさいなりに小学校高学年のころに気づき、それ以来愚直に「勉強だけ」をやってきた。そう、本当に「勉強だけ」を。
 「他人との関わり方」を学ぶには絶好の機会であった学童期にまったくそれをせず、ステータスは「勉強だけ」に全振りした。全振りしてもなお、せいぜいが中の上〜上の下。「どんくさい人間が勉強だけを頑張っても何にもなれませんよ」と事実が指し示してくれているにも関わらず、私は愚直に勉強だけをやり続けた。
 高校3年間はまったくおもしろくなかった。勉強だけはし続けなければならないのに、それすらも満足にできないくらい毎日本当に疲れ切っていた。もちろん部活動にも入っていなければ、バイトだってしていない。にも関わらず、私はどんどん勉強に身が入らなくなっていった。
 その原因が自分にあるとも知らずに、私は必死に勉強だけに固執し続けた。これをやめてしまったら私の存在意義が消えてなくなってしまう。
 けれど、目的もなく走り続けることなんて誰にもできやしない。私は自分の頭で考えることができるようにならないまま、18歳にして子どもでいられる期間を卒業することになってしまった。

 それから14年が経ち、このうち12年はろくでもなかったといってもいいでしょう。「中学生が精神の成長を止めたまま、年だけとるとこのようになりますよ」の実例である。
 30超えてから、躁の勢いを借りて地元を飛び出したはいいものの、本当にしんどい思いをした。当たり前だ。今までサボリにサボってきたことをやってるんだからな。
 およそ「社会性」「バランス感覚」と対極に位置していた「社不」「幼稚」な私は、ただ実家の自分の部屋から飛び出したというだけの、まさしく「子どもおばさん」だったのだ。恥ずかしい。
 いいかかつての自分よ。若い時間というのは大層貴重なものなのじゃ。なんでもいいからやってみなはれ。できるできないはやってみて初めてわかること。自信なんてみんなないのじゃ。そんなものはやり続けて気づいたら身についているものなのじゃ。
 自分の殻に閉じこもり続けて、ありのままの自分を愛してほしいだなんて、甘ったれだと断じられても仕方のないこと。みんな大なり小なりそこを乗り越えて大人になってるんだって、私はこの歳になってようやっと理解した。
 「愛されなくてつらかった」のが事実であれ、なんでもかんでもそれに結びつけて人付き合いを避けることを正当化していいわけじゃない。
 ひとりがイヤだと言いながら、ひとりを選んでいたのは他でもない私自身だった。

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