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マンガ家になりたかった私

 幼稚園も小学校も薄ぼんやりと生きていた、人見知りが強めの子どもだった。その日が楽しければよくて、親から怒られるのがきらいな、平凡な子どもだった。
 将来の夢の作文を学年ごとに書かされた記憶があるが、小学校4年生くらいになると、「なりたいものがないな」と思うようになり、正直に当時の担任に「将来の夢がない場合は何を書けばいいのですか?」と尋ねると、「ないってことはないだろう、なんか書きなさい」という雑な回答が返ってきたので少なからず落胆した。
 大人とはいえすべての問いに対する答えなんか持ってないんだ、全部教えてくれるわけじゃないんだと思ったし、将来なりたいものなんて本当にないのに、ないものをつくれだなんて、そんなのって大人の都合じゃんとも思った。
 思いながらも、言われたとおりにしないで怒られるのがイヤだったので「パン屋」という夢をでっちあげて、それなりの作文を書いて提出した。
 子どものころの行動原理って「大人から叱られないように」というのがだいぶ大きい気がする。怒鳴りつけられるとつらかった。

 小学6年生のとき、転校してきた子と仲良くなった。絵がとても上手な子だった。それだけでなく、彼女といると楽しく、居心地がよかった。私たちは特別親しくなった。
 聞けば彼女の夢はマンガ家だという。私にはなりたいものも、やりたいこともなかったから、彼女の影響を受けて描くようになった絵は楽しかったし、「それなら私も」と深く考えずに同じ夢を持つことにした。
 「もし小学生や中学生のうちにデビューしたらどうする?!」なんて、キャーキャー盛り上がったのを思い出した。子どもだった。
 しかし、私は中学に上がると前のようには絵が描けなくなっていた。「上手い絵でなければ意味がない」という意識が常にどこかにあった。才能なんてないことはわかっていた。それならば人の倍以上に描けばよかったのだ。
 今でも何度も思う。あのころから描き続けていればちがった未来があったんじゃないかって。
 そのうち勉強にかまけて絵を描くことをしなくなっていった。描かなくなると本当に描けなくなる。
 それに、マンガ家は絵だけでなく、絵以上に話をつくれないといけない。たとえ猿真似で絵は描けても、話をつくるとなると、「自分の頭で考えなければいけない」。あのころのグズだった私に、自分の人生の先行きすら考えられなかった私に、マンガの中のキャラクターの人生、つまり他者の人生など構築できるはずがなかった。
 よって、私の志した「マンガ家」という夢は、小学生の考えたものらしく、文字通り夢となって消えていった。

 言われたことしかできない何の面白みもない人間になってしまった私はその後、言われたことすらできなくなり、自分の考えていることすらわからなくなり、いったん人生からドロップアウトすることになる。

 私に「マンガ家」という夢を与えてくれた彼女は、親切でとてもやさしかった。同い年なのに、3つ年上の姉ができたような気分だった。グズな私の面倒をたくさん見させてしまった。私は彼女といることが心から楽しかった。対等な人間として取り扱ってくれたことがうれしかった。せめてたくさん笑ってほしくて、せいいっぱいひょうきんであろうとした。
 学童期は学校さえ同じであれば、そして気が合えば、関わることない階級の子とも仲良くなれるんだからちょっと不思議だよな。大人になると良くも悪くも同じような階級の人たちとしか日常で関わる機会がなくなる。
 貧乏母子家庭の私と、両親そろった裕福な家の彼女。彼女の家族も私に本当によくしてくれた。どうあがいても下賤の民でしかない私に、差別的な接し方をしたりしなかった。本当に高貴な人たちは、心が豊かできれいだから、そんなことをしないのかもしれない。

 彼女はマンガ家でなく、べつの夢を叶えることになるのだけど、その一方で私は未だに何にもなっていない。
 だって、「マンガ家」という夢を自分で志した彼女と違い、私は彼女に影響されて夢を見ただけで終わってしまっている。結局は「自分の頭で何も考えられない人間」から、ついぞ脱することができなかったのだ。
 脳死で世間に従うことは大層ラクであった。それにより感性が死んでいくことを感じながらも、「こうあるべき」に従っていれば、道を踏み外すことはないのだろうと信じ切っていた。現に、世間では脳死で大学まで出る若者がほとんどだろう。私もその中のひとりでしかなかったし、そうなろうとしていた。

 結果として18歳で野に放たれた私は、その後14年間さまよい続け、ようやっと「自分が生きていくために自分の頭で考え」始めた。
 世間でいうところの「幸せ」がそのまま自分に当てはまるはずなど当然ないけれど、かといってひとりで楽しく生き続けられるだけのエネルギーは私にはないだろうという予感がある。
 どんなに力いっぱい遠ざけても、「愛されたい」「さみしい」という欲求は、波打ちながらやってくる。見ないふりなんてすればするほど、膨れ上がって爆発しそうになる。消えてなくなるなんてことはないんだろう。たぶん一生。
 そもそもどうして、そう思ってしまうことが「いけないこと」だと抑圧してしまっていたんだろう。

 今だからうつ病になった原因をこうやって表現することができているけど、ガチうつ状態の人間が精神科の初診で何をしゃべれんだよ?エ?と思うわ。

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