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大伴家持を「旅」するー因幡万葉の時空         

因幡国庁址

          大伴家持を「旅」する     藤井一二                       
新(あらた)しき 年の始(はじめ)の 初春(はつはる)の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)
新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其(巻20・4516) 

天平宝字3年(759)年正月、大伴家持が因幡国庁で詠んだ歌、『万葉集』の末尾を飾る。降る雪のように「吉事」が重なることを願ったのであろう。雪の正月は越中国で何度も経験したはずである。

因幡の生活は約3年半。天平宝字6年、信部大輔として都へ戻るが、複雑な政情下で1年と4か月で解任。その後、薩摩守・大宰少弐を経て、宝亀元年(770)に民部少輔として京へ戻る。53歳。

のち左中弁・中務大輔・左京大夫・衛門守・伊勢守や参議・右大弁・春宮大夫等を経て、遂に中納言・陸奥鎮守将軍へ。ときに従三位。栄光は長く続かなかった。延暦4年(785)8月、陸奥(多賀城)で死去する。68歳。

悲運と苦難に耐え、希望と目標を抱き続け、歌作に傾注した大伴家持の生涯に、私は心を寄せる。そして、志半ばで世を去った大伴池主と大伴古麻呂のことも書き残しておきたいと、いま推敲段階に入った‥。

因幡国庁の跡は、鳥取市国府町の袋川沿いに位置する。緑野に囲まれる正殿・後殿の遺址は規格性・方位性を保ち、柵・井戸・道路・溝と共に復元整備され、1978年に国史跡へ。国庁址+美しい山並み+万葉歌の口遊みは、訪れる人を万葉の世界へと誘ってくれる。

先年、因幡国庁跡と周縁を巡る機会があった。見事に整備された正殿跡に佇み、西に面影(おもかげ)山、南に今木山、東に甑(こしき)山を眺望しながら大伴家持の過ごした「万葉の時空」に思いを巡らせた。
(2024年1月20日、FB「コーヒータイム」から)