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右折レーンに入っててもウインカーは出せよ?

おはようございます!

昨日は久しぶりにバイクの修理・点検に行ってきたのですが、まあ普通は3000km走るごとにオイル交換をしにバイク屋に点検に行かないといけないというようなルールがあるのですが(オイルを入れないと壊れてしまうので、、、)、怠惰な僕はずっとそのオイル交換に行けてなくて結局10000kmくらい走ってしまっていたwataruです。


まあ想定はしていたんですが、案の定整備士さんには少し怒られるというか、軽い注意を受けたのと同時に、追加で修理をしないといけない部分もかなり多く見つかって結局6万円分くらいの見積もりを渡されてしまったので、一夜開けている今でも膝がガクガク震えています。


ということで本日は「右折レーンに入っててもウインカーは出せよ?」というテーマでお話をしていこうと思います。


というのも本日のテーマは、一見車を運転しない人には関係のなさそうなすごくピンポイントな指摘となっているわけですが、色々と思考を深めていくとそんなこともなくて色々な人に応用できる部分、多くの人が注意しないといけないコミュニケーションのあり方みたいな部分までお話しできればと思います。


ということで冒頭でも軽く触れた通り、昨日はバイクの修理・点検に行ってきて、その途中でまさに右折レーンに入っているのにも関わらずウインカーを出していない車に出会ったんですね。


まあこういう車は日々運転してるとそこそこの割合で出会うことがあって、昨日も”まあこういう人たまにいるよな、、、”という感じで流そうと思ったんですが、なんだか右折レーンに入っていてもウインカーを出して欲しい気持ちになる僕の中のこの感情の正体が気になって、自問自答を繰り返してみたんです。


すると分かったことがあって、それは大きくまとめると”あなたの意見を教えてよ”という気持ちから来ていた感情だったんですね。


というのも、多分右折レーンに入っていてもウインカーを出さないタイプの人からしたら、”自分は右折レーンに入っているのだからわざわざウインカーを出さなくて曲がることはわかるでしょ?”というような理論を持っていると思うんですが、正直真後ろにいる僕からしたら”この車間違ってこのレーンに入ってきてる?”とか、”これ右折レーンだってことに気づいてなくて、直進し出したらやばいやん”みたいな不安要素が頭をよぎっていて、普通に運転している時よりも運転というものに集中しないといけないし、何よりいつも以上に神経をすり減らされる瞬間でもあるんですね。


まあ少し大袈裟な書き方をしましたが、でもやっぱり不安要素があることは間違いなくて数値にすると10%、20%は不安要素や心配の気持ちを持っているわけで、これがウインカーを出すという一つの行動だけでなくなるとしたら、やっぱりその行動はお互いに快適に安全に運転する上で絶対にやったほうがいいと思うんですね。


これが右折レーンに入っていてもウインカーを出したほうがいい理由の一つだと思っていて、これをもっと深く掘り下げて考えていくと、人間は出ているアウトプットでしか判断を出来ないということでもあると思うんです。


というのも僕が苦手な”右折レーンに入ってるんだから普通に考えて右に曲がるでしょ”というような思考性を持っている人って、いわゆる言わなくてもわかるでしょっていうタイプの人だと思っていて、この”言わなくてもわかるでしょ”とか、”察してよ”というようなタイプの人も僕は同じくらい苦手だなと思うんですね。


だってそもそもあなたと僕は育ってきた環境も、好き嫌いも、生い立ちも、親から教わったことも、学校で学んだ教訓も、社会に出て受けた仕打ちも、何もかもが違っていて全く同じ経験なんてしたことがないのにも関わらず、そこをすっ飛ばして”察してよ”とか”普通こう思うでしょ”と言われても無理があると思っていて、多分僕があなたと同じ状況になった時に考えること、思いつくことは全く違うことだと思うから、あなたの意見として”こうして欲しい”とか”こういう考えを持っている”というようなアウトプットを出して欲しいと思うんですね。


多分これが僕が右折レーンに入っていてウインカーを出さない人が苦手な根本的な理由の部分だと思いますが、そう考えるとやっぱり人間というものはその人が言っている言葉とか、その時の表情とか振る舞いなどのアウトプットで判断をしていることが多いんだろうなと思っていて、自分の思っていることや考えていることが同じくらいの濃度や尺度で相手に伝わるようにしていくことが大事なんだろうなと思いました。


ということで本日は「右折レーンに入っててもウインカーは出せよ?」というテーマでお話をしてみました。

ではまた!



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