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何でもできるべきという幻想

↑元ネタ。事件後の宮台真司氏との対談。

この対談の中で「最近の若い奴はなんでもできようとしている。無駄ですよね。一人で何でもできる必要ないのに」的なニュアンスのことを言ってた。

これは非常に自分としても耳が痛い言葉だが(何でもやろうとしてた)、確かになと思わされる。
当たり前だが、人生は時間が有限だ。

食事を作ること、移動すること、遠く離れた誰かとコミュニケーションを取ることなど、その一つ一つを誰の手も借りず自分一人でやろうと思ったら、人生一周ではとても足りない。

だからこそ私たちは、他の人のスキルを無償or有償で借りながら、
コンビニの惣菜を買ったり、タクシーや電車、飛行機に乗ったり、スマホ・メール・SNSなど他人がお膳立てしてくれたツールをさも当たり前のように使ったりして生きている。

確かにそうした恩恵には預かりつつも、「何でもできる自分」になろうとしていた。
てか、自分以外でもそういう人多いんだ。

多い少ないかはあくまで実感としての話だが、
そういう人が増えても致し方ない社会環境なのは確かだ。
共同体は崩れ、家族像も核家族という体制すら危うい(毒親など)、スマホを介して情報だけは流れてくる、誰に助けを求めていいか分からない、隣近所どころか行政も助けてくれない、そんな社会で、
「自分一人で色々身につけてサバイブしていくんだ」という人が増えていくのはしょうがないというか、自然現象ではあるなと。

実家から出て、「一人が気楽だわ」の境地に至った代償は、あまりにも分かりづらく地味にダメージがデカい、まさにステルス代償と言ってもいいかと。
どこの大学の研究結果か忘れたが、人間の寿命を縮める最大の要因は「孤独」だ。
人は、コミュニティに所属し、貢献できている実感が湧いた時にこそ幸福を感じる社会的生き物だ。
noteで書いたか分からないが、現代テクノロジーにより後天的に発達障害になる人が増えているらしい。(詳細な情報は各自調べて頂きたい)
ポケモンGOのように人と人とをリアルで繋げるテクノロジーもあれば、Facebookやインスタといった人の距離を遠ざけるテクノロジーもある。

こないだ芸能人のめるる(めるるって芸能人で合ってるよな?)が友達が少ないから欲しいと番組内で言っていたが、人脈の象徴とも言える芸能人でも(一人が好きな人もいるとは思うが)出会う機会が無いと考えるのは、人間関係の希薄化が強まってる象徴だろうか、と結論づけるのは暴論で短絡的か。

何かしらの変化・アクションがない限り、この今生きてる社会の方向性が加速していく事は間違いない。
生身の人間と一度も会った事ない人も出てくるのだろうか。

我々が生きている社会は恐ろしく多様で複雑なネットワークで成り立っている。
どれだけ情報を集めても社会を正確に把握するのは困難だ。しかも日々加速的に変化し続けている。

だが、時代が移り変わっても不変で普遍の法則みたいなのもあるはずだ。
ここで言うそれは、
自分だけが生き残ろうとするのではなく、
他者にどう還元していくかに結局なると思う。
そこから生まれる繋がりもあるはずだ。

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