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発掘!「現代の姓名判断」の起源(10)

小関氏の『命名心法』には、海老名、佐々木両氏の「誤り」(と小関氏は誤解した)を指摘している箇所があります。「奇数・偶数と乾・坤の対応関係が逆だ」というのです。このことから、小関氏が両氏の著書を読んでいたことは明らかです。

では、菊池氏の『初編』についてはどうでしょうか。おそらく、読んでいないでしょう。というのも、海老名、佐々木両氏を名指しで批判しながら、菊池氏の名前は出していません。

ですが、この「誤り」は菊池氏の『初編』から借用してきたものです。種本を書いた菊池氏を真っ先に批判すべきなのに、そうしなかった。ということは? 「小関氏は『初編』を知らなかった」とするのが自然でしょう。[注1]

●小関金山氏の判断法

小関氏の用いる技法や判断法は、おおむね海老名氏と佐々木氏のものを折衷しているようですが、詳しく見ていくと、各所に混乱があります。こうした中途半端な内容からは、どことなく寄せ集め的な印象を受けてしまいます。

おそらく、小関氏は自身の頭の中を整理できていなかったのでしょう。これでは、独自の姓名判断を確立していたとは言い難く、元祖グループに加えるのははばかられます。[注2]

では、後世に何も影響を残さなかったかというと、そうとも言い切れないのです。些細なことながら、小関氏が「乾坤が逆だ」と指摘して以降、後の占い師たちは、ほとんどが乾坤を本来の対応関係に戻しているのです。

次表を見てください。これは小関氏の『命名心法』以降に出版された姓名判断書について、奇数・偶数と乾・坤の関係が「正」か「逆」かを調べたものです。

「奇数・偶数と乾・坤との関係」の正・逆

これがすべて「小関氏の指摘が影響した結果」とは断定できませんが、まるでオセロゲームのように、「逆」から「正」へ見事にひっくり返されているではありませんか。[注3]

占い師たちの極端な変わり身は、普通に考えて「佐々木氏の判断法は間違っている」という指摘と無関係ではないでしょう。姓名判断の信奉者にすれば、どうにも受け入れがたい「佐々木氏の急死事件」を、なんとか釈明したかったでしょうから。

この中で面白いと思ったのは、海老名氏が周囲の変化に影響されず、信念を貫いているところです。考えがブレないのは、大切なことではあります。

●結 論

さて、ようやく「現代の姓名判断」創成期に活躍した占い師の系統図ができました。元祖探しパズルの完成です。

これまでの調査結果をまとめると、アイデアの元祖はやはり菊池准一郎氏とするべきでしょう。また、「五則」の確立とマニュアル化を果たした功績は海老名復一郎氏に、そして佐々木盛夫氏は、新聞活用で姓名判断の知名度を高めた、メディア戦略の成功者と言えそうです。

さらに、独自の姓名判断を確立していた高階氏を含め、彼らはいずれも「元祖」とは言えないまでも、創成期に一定の役割を果たしたことから、元祖グループと考えてよさそうです。[注4]

では、昭和に入ってからの第二次ブーム後期の立役者、熊﨑健翁氏の位置づけは? そうですね、旧来の技法を統合・発展させた「中興の祖」といったところでしょうか。

「現代の姓名判断」の創成期に活躍した占い師の系統図

============<注記>===========
[注1] 小関氏による海老名、佐々木両氏への批判
 小関氏は『命名心法』の中で、次のように両氏を批判している。本来、奇数は乾、偶数は坤であるはずが、奇数が坤、偶数が乾になっている、というのである。

「・・・岩手県出身の・・・佐々木盛夫氏、あるいは青森県出身の蝦名又一郎(海老名復一郎)氏らの姓名判断の著書を見るに・・・偶数を乾とし奇数を坤とするが如きに至りては逆道の甚だしき者にして、何の拠り所ありてこの無稽なる妄説を作せしや・・・」

 確かに、海老名、佐々木両氏は次のように書いており、この指摘そのものは間違いではない。

【海老名】「姓名の字々に●○を附したるを乾坤組合という。すなわち●印を乾となし、○印を坤となす。乾は文字画の偶数をもって定む。坤は文字画の奇数をもって定むべし。」

【佐々木】「文字の陰陽は周易、幹支学等の用ゆるところに反し、逆に取りて作りたるものなり。但し、姓名に府〔原文のまま〕するには、陰陽とするも、乾坤とするも、奇偶とするも、黒白とするも、同じゆえに、は鑑定するに乾坤を用い、黒白を用ゆるも同意味なり。・・・文字の陰陽を周易等において用ゆるところに反し、逆に用いたるを示す。〔しかし、編集者の不注意によるものか、この後に続く多数の実例は混乱している〕」

 ただ、両氏が種本にしたと推定される菊池氏の『初編』にも、次のとおり、逆に書かれている。

【菊 池】「●印は乾、○印は坤・・・●印は文字の丁数(偶数)、○印は文字の半数(奇数)にして、たとえば●は十画の文字、○は十一画の文字等の如し」

 では、海老名、佐々木両氏が菊池氏のこの記述を借用したとする根拠は何か。それは、彼らの判断法では「逆」にすることに意味がないからである。彼らの場合、○と●の配列パターンで吉凶がすでに決まっており、○●と乾坤との対応関係は、実はどうでもよい。要するに、吉凶判断にまったく関係しないこの説明文は、そもそも無用なのである。

 一方、菊池氏の場合は「逆」にすることに大きな意味があった。○●の配列パターンで易卦を作り、それで吉凶を判断するため、○を乾とするか、坤とするかで易卦が変わってしまう(吉凶が変わる)のだ。このことは『続編』で詳しく解説しているが、菊池氏にとっては吉凶判断に不可欠のルールであり、特定の○●の配列パターンがなぜ吉なのか、凶なのかを説明する根拠となっている。

 ところで、菊池氏が『続編』(大正3年刊)でこのルールの「ネタばらし」をしたのは、海老名氏や佐々木氏より10年以上も後のことである。したがって、彼らが菊池氏の説明文を借用した時点では、原案者(菊池氏)の意図を理解していたとは考え難いが、少なくとも原書のルールには忠実だったわけである。
 小関氏が「誤り」と思ったのは、真相を知らないための誤解だった、ということになる。

[注2] 小関氏の姓名判断
 本文中で何の説明もない技法(字画の組合せ)がいきなり鑑定例に出てきたり、互いに吉凶が矛盾する二種類の技法(数霊と易)が使われたりと、彼自身の混乱ぶりがそのまま著書に現れている。
 彼は自身が利用する技法の意味を十分理解していなかったのではないか。そうした混乱のため、見方によっては、小関氏の方法は五則とも六則ともとれる。
 また、「天地の配置」に似たような解説もでてくるが、これは吉凶判断の材料になっていないので、技法とは呼べない。ことによると、これは海老名氏の「天地の配置」を彼なりにアレンジしようとしたが、消化不良に終わってしまった、ということかもしれない。

[注3] 奇数・偶数と乾・坤の関係
 この問題は、厳密には、奇数・偶数と陰・陽と乾・坤の三者の関係を問うものである。そして、詳しく調べてみると、記述に混乱があるので断定できないが、佐々木氏の場合は菊池氏や海老名氏と微妙に異なるようだ。
 そのため、ここでは「奇数・偶数が陰・陽または乾・坤の少なくとも一方と逆の対応関係にあるか否か」として調べた。

 なお、佐枝得道氏の門人たち(7~8人)も同期間に姓名判断書を出版しているが、同じ流派なので、割愛した。

[注4] 鎌田晴山氏の位置づけ
 鎌田氏の姓名判断は海老名氏の『新秘術〔神秘術〕』と『新説秘術法眼』をベースにしており、技法的には海老名氏の流れを汲む。従って、姓名判断の危機を支えたかもしれないが、元祖グループに含めるのは適当でないだろう。※『「姓名判断は我が国百年の歴史」が本当だ(3)』を参照


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