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「姓名判断は我が国百年の歴史」が本当だ(6)

さて、姓名判断の「元祖」候補として、菊池准一郎、海老名復一郎、佐々木盛夫、小関金山、高階鏡郭の各氏が残りました。真の元祖は一人だけですが、ほかの人々も意外と元祖に近い立場にありそうです。

●ひとつの仮説

彼らの著書には、「姓名判断」の創成期に何が起こったかを示す、たくさんのヒントが隠されています。そこで私が辿たどり着いた仮説は次のとおりです。

<仮説>
菊池氏こそ本来の意味での「元祖」だが、海老名、佐々木、高階の各氏も、それぞれが菊池氏の『古今諸名家 姓名善悪論 初編』を研究・肉付けし、技法として体系化したので、あながち「元祖」も僭称せんしょうには当たらない。

●姓名判断の創案者、菊池准一郎氏

後に「五則」として広まる5種類の技法の原型は、ほぼ間違いなく菊池准一郎氏のアイデアです。ただ、彼の『古今諸名家 姓名善悪論 初編』は、必ずしも説明が十分でなく、読者が自分で姓名判断を試すには、それなりに研究と工夫が要求されるものでした。

菊池氏の著書は、新しいアイデアの紹介が主な目的で、詳しい判断手順を示す意図はなかったようです。そのため、後進の占い師たちは、菊池氏が書いていない部分を、独自の解釈と実験で補う必要がありました。

明治期に複数の元祖が誕生した背景には、こうした理由があったと考えられます。どう贔屓ひいき目に見ても、僭称としか言いようがない、偽物も何人かいましたが。

●実践マニュアルの完成者、海老名復一郎氏

菊池氏が創案した技法を「五則」として整理し、詳しい手順と解説を加えて、実践的なマニュアルに仕上げたのは海老名氏の功績です。そして、海老名氏の『姓名判断 新秘術』こそ、この後、多くの占い師にコピーされていったのです。[注1]

菊池氏の『古今諸名家 姓名善悪論 初編』は、誰もが5種類の技法を読み取れるわけではありません。このことは改めて触れますが、よほど注意深く読まない限り、4種類しか見つけられないのです。

要するに、「五則」(5種類の技法)とは、海老名氏の独特な捉え方だったのです。そして、この五つ目の技法に「天地の配置」と命名したのは、海老名氏にほかなりません。

というわけで、明治末期以降に出現した大量の姓名判断書で「五則」を標榜するものは、すべて海老名氏にルーツを持つともいえるのです。

●別バージョンのマニュアル作成、佐々木盛夫氏

一方、佐々木、高階の両氏は、海老名氏とは別に、菊池氏の『古今諸名家 姓名善悪論 初編』を研究したと考えられます。この二人は親友だったので、早い時期から情報交換していました。

しかし、彼らが菊池氏の著書から読み取った技法は、海老名氏より1種類少ない「四則」でした。彼らの技法には海老名氏の「天地の配置」が無いのです。[注2]

佐々木氏の『新式姓名法』は、海老名氏の『姓名判断 新秘術』に数年遅れて、遺稿として出版されました。内容的には、やや粗雑な感を免れず、海老名氏の著書のほうが断然優れています。

しかし、非情な運命に突然時間を奪われ、不満足な状態で出版に至ったのかもしれません。「大澤儀助」 から「佐々木盛夫」に改名した効果は、期待したほどではなかったようです。[注3]

●先行するマニュアルの部分修正、小関金山氏

小関氏は主に海老名、佐々木両氏の著書から学び、菊池氏の著書は知らなかったと考えられます。何故なら、海老名、佐々木両氏の「誤り」(と小関氏は誤解した)を名指しで批判していながら、菊池氏の名前を出していません。

しかし、この「誤り」は、元はといえば、菊池氏の記述に由来するのです。もし、小関氏が菊池氏の著書を読んでいたら、批判の仕方も違ったものになったでしょう。[注4]

===========<注記>==========
[注1] 海老名氏による判断技法の編成
 たとえば、『姓名判断 新秘術』(海老名復一郎著、明治31年)には次のようにある。なお、「文字上解釈」とは「読み下し(の意義)」をいう。

「判断鑑定の項目を五課に区別し、第一、文字上解釈、第二、天地配置、第三、乾坤組合、第四、合運数、第五、五気配合と附号し、その課、その項目について子細に善悪吉凶を説明・・・したるものは本書なり。」

[注2] 佐々木氏、高階氏による判断技法の編成
 『新式姓名法』(佐々木盛夫著、明治36年)には、命名の条件として、「読み下し」「陰陽の配置」「五行の組合せ」「字画の運数(運格)」の4種類をあげている。

「命名するには、第一〔に〕姓名文字の配合読み下し、天地陰陽の配置、天理五行の組合、字画の運数〔が〕すべて吉に合ふて、はじめて善良の姓名となる・・・」「姓名文字の読み下し〔が〕善良なるも、運格、五行の組合、陰陽の配置〔が〕宜しからざるときは・・・」

 また、『生児命名 姓名判断伝授 二百問答』(高階鏡郭著、明治45年)には次のようにあり、やはり「四則」である。なお、高階氏は、海老名氏が「文字上解釈(読み下しの意義)」と捉えた技法を、「音読上の判断(発音したときに滑らかで高尚であること)」と捉えたようだ。

「姓名判断を執るには左の順序にすべし。 〔第一、姓名の運格を判断する事、第二、姓名の乾坤配置を判断する事、第三、姓名の五行組合を判断する事、第四、音読上の判断を執る事〕 この四個の象がともに吉兆なる場合は、すなわち完全の姓名にして・・・」

[注3] 大澤儀助氏(後の佐々木盛夫氏)の改名
 たとえば、『人生哲理 命名心法』(小関金山著、明治40年)には次のようにある。
「・・・新式姓名判断家なりと称する岩手県出身の幼名 大澤儀助、後に改名して間もなく故人となられし佐々木盛夫氏・・・」

[注4] 小関氏による海老名、佐々木両氏の著書批判
 小関氏は自著『人生哲理 命名心法』の中で、乾・坤と奇数・偶数の対応関係が逆だとして、次のように両氏を批判している。(本来、奇数は乾、偶数は坤であるはずが、奇数が坤、偶数が乾になっているという指摘)

「・・・岩手県出身の・・・佐々木盛夫氏、あるいは青森県出身の蝦名又一郎(海老名復一郎)氏らの姓名判断の著書を見るに・・・偶数を乾とし奇数を坤とするが如きに至りては逆道の甚だしき者にして、何の拠り所ありてこの無稽なる妄説を作せしや・・・」

 しかし、海老名、佐々木両氏が種本にしたと考えられる『古今諸名家 姓名善悪論 初編』(菊池准一郎著、明治26年)にも、次のとおり、逆に書かれている。
「●印は乾、○印は坤・・・●印は文字の丁数(偶数)、○印は文字の半数(奇数)にして、たとえば●は十画の文字、○は十一画の文字等の如し」

 つまり、海老名、佐々木両氏は、この時点で原案者(菊池氏)の意図を理解していたとは考え難いが、少なくとも原書のルールには忠実だった。
 易を学んでいた菊池氏が、あえて乾坤の対応関係を逆にしたのは何故か。その秘密は20年後に書かれた『続編』で明かされる。

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