好きな人物事

好きなことで生きていく みたいな言葉、流行った記憶がある。何年前だろ。2014年らしい。なるほど。丁度ゆとり世代が社会に出始めたくらいの時期と重なるのかな。

好きなことで生きていくって言葉はもう手垢がついて、さらにそこになんかもう色々付いて、凄いことになってるだろうから今更どうでも良いんだけど、ふと最近感じることを書く。

「好きな人のために頑張りたいなぁ」みたいな漠然とした感覚があるなぁ…ということ。もちろん、人じゃなくてモノでもコトでも良いんだろうけど、生きていくとか壮大な目標じゃなく、こういう風にありたいなぁ…みたいな漠然とした感覚。これって、きっと皆心のどっかに抱えてるものなんじゃないかなぁ…って、ふと思った。

自分は無意識にこれをしているタイプだと思ってて、かつそれを自分でコントロールしてた側な気がしてる。好きな人のために頑張るって直接的にやると派閥を生んだり、人同士が仲悪くなったりするから、そこらへんの視線誘導を自分でやって納得して行動に変えて行くみたいな感覚。

育ててくれた両親の為にとか、期待してくれている組織や上司の為にとか、友達とか同級生同期に負けない為にとか、頼ってくれる後輩の為にとか。皆のことが、いつも好きでいられるわけじゃないけど、大きく見た時に好きだと思える何かの為に頑張れている自分を好きでいたいみたいな感覚。自分はある。平和ボケとかゆとりっぽいなぁとかぬるいなぁみたいな感覚も同時に感じるけど、自分はきっとここが原点にある。

この原点があるが故に、ここを原点にするために色々と矛盾した考えも自分の中で生まれてくる。自分自身に余裕が無くなってるときに友達のことなんて考えてられなくなるし、きっと友達を優先する人なら組織を優先出来なくなることもある。常にそこには優先順位があって取捨選択を迫られる。好きなものと好きなものを比べていく繰り返しにも出会う。その出会いの繰り返しの先に、好きだったものを好きじゃなかったものとして切り捨てていることにも気付く。

捨てちゃいけないもの、きっと皆も結構捨てて来てると思う。大袈裟だなぁ…って思うかもしれないけど、これは恵まれているからこそ発生する問題だとも思う。たくさんあったものが、失われていく感覚はどうしても苦しい。でも、失われたからって自分がすぐに失われるわけでも、死ぬわけでも無い。ただ、失われたことに後から気付くだけ。

好きなものが減っていってることに気付くだけ。大切なものが自分の手元に無くなっていることに気付くだけ。

で、じゃあ、今あなたの手元に何がありますか?

みたいな話。その手元に好きなものがもう無いのなら、その環境は多分あなたにとって良い環境じゃないんでしょうね。みたいなことを思う。自分はその環境というか感覚を経験したことがあって、そこからもう3年間くらい環境を逆転させて生きてる。好きなものは増えてきていると思ってる。というか、3年前に手元に残していたものを自分の内側にして必死で生きてる。自分という存在を肯定するために、それをずっと使ってる。この文字がそう。

きっと皆そんな風にして生きてるんだろうなぁって、そんなことを思って、書きたくなったから書いた。

好きな家族の為にとか、好きな仕事、組織、界隈、コンテンツの為にとか、自分の為にとか、グルグル回るかもしれないけど、ちゃんと好きだと思える何かの為に、誰かの為に行動できる人間でいて欲しいなって。

その好きの先が混沌でも良い。直接的な争いを望むよりは、混沌、否定、嘘、なんだって良い。あなたの信じる好きの先にあるもの、あなたなりの哲学があるものの為に生きて欲しいな。みたいな。生きたいなぁ。みたいな。

そうはいかねぇんだよロック。ってレヴィは言うかもしれないけど、俺がそう生きたいって話をしてるんだ。お前の意見は今は聞いてない。そんな感じ

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