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後悔をなくすことは可能か

以前、ニューヨークで「What's Your Biggest Regret」というイベントが行われました。街角に大きな黒板を置いて、道行く人々に「人生最大の後悔」を書いてもらうというものでした。最初は躊躇いながら遠巻きに見ていた人々も、チョークを手に取り、それぞれの記憶を綴り始めます。

夢を追わなかったこと。
本音を言えなかったこと。
優しくなれなかったこと。
良い友人でいられなかったこと。
自分を好きになれなかったこと。

多くの言葉の中に、ある共通点が浮かび上がりました。皆、何か間違いをしたことではなく、出来たはずなのにしなかったことを後悔していたのです。(もちろん実際の記述は英語で、「Not」「Never」の単語から始まります)

胸を締め付ける切ない話から入りました。この「出来たはずなのにしなかった後悔」、ビジネスの世界では機会損失と呼ばれています。これは、最善の意思決定をしなかったことで、より多くの利益を得る機会を逃すことで生じる損失を指します。要は「儲け損なった」ということです。
機会損失は通常の損失と異なり、財務諸表に現れません。よって、その定量はあくまで想定です。ですが、心当たりがあるという方、意外と多いのでは。他ならぬ僕がそうです。
この機会損失にフォーカスした書籍が、『機会損失-「見えない」リスクと可能性』です。

機会損失の発生要因

機会損失がなぜ発生するか、本書では端的に表現しています。

「早すぎる決断による失敗」や「遅すぎる決断による失敗」は、日本ではどうも前者を「拙速」といって、より忌み嫌う傾向にあるような気がします。

機会損失とは後者の「遅すぎる決断による失敗」です。「拙速」と批判されるのが怖いので決断が先延ばしされ、結果的に機会損失となる、これが機会損失の主たる発生要因ではないでしょうか。前者の失敗は「決断した人」が批判の矢面に立たなければなりませんが、後者は責任の所在が曖昧です。よって素早く決断するインセンティブがはたらかないのです。
しかし、決断は早ければ早いほど、軌道修正もまた素早く行うことができます。プロトタイピングのように、モデルの投入・検証を繰り返し仕上げていく手法は、「早すぎる決断の失敗」を素早くリカバリーし、「遅すぎる決断の失敗」を回避する目的と換言できるかも知れません。

実は、そもそも人は「決断」という行為を苦手としています。主に、3つの心理的エラーに支配されているからです。

ひとつは損失回避バイアスと呼ばれる、「チャンスよりも問題に目がいく」「得よりも損が気になる」という習性です。ジャンケンに勝てば10万円もらえるが、負ければ8万円支払うというゲームがあったとして、あなたは挑戦するでしょうか。ジャンケンで勝つ確率は1/2なので、期待値を計算すると10万円×1/2-8万円×1/2=+1万円。期待値はプラスなので論理的には挑戦するべきです。ところが、人間は「負ければ8万円支払う」という損が怖くなり、挑戦を躊躇します。ビジネスの損失は8万円どころではないので、よほど損失回避バイアスが効いてくるのです。

ふたつ目は保有効果という心理で、いったん走り出してしまうと容易に捨てられない、走り続けるために必要な情報ばかり集めるというものです。解約率の増加、他企業のシェア上昇などマーケットからシグナルが出ていても、「まだ大丈夫」という情報ばかり集め、方向転換に及び腰になるのです。「もう八割がた作ってしまったから、効果が見込めないけれど実行するしかない」というサンクコストバイアスも似たような心理ですね。

そして、決断の遅れる最大の理由は「情報を沢山集めれば、質の良い意思決定ができる」という勘違いです。人間の脳は多数の情報から適切な結論を出せるほど、高度には作られていません。複数の事象から分かりやすいデータをピックアップして、それで決断できなければ次のデータ…という逐次意思決定をしているに過ぎません。
実際、情報量と意思決定の質は正比例しないことが近年の研究で明らかになっています。「もっとデータを集めろ、もっとメッシュを上げろ」という指示は、意思決定の質を落とす方向に作用している可能性があります。

機会損失を発生しやすい組織の特徴

機会損失を発生しやすい組織の特徴とは、どのようなものでしょうか。本書では、重要な指摘が為されています。

本来は手段である計画が聖域化、目的化され、本来の目的達成にそぐわない資源配分がなされる。結果として、単に「無理をする」だけではなく、現場の達成感や仕事への誇りも失われる。

大企業や官公庁にお勤めの方は心当たりがあるかも知れません。組織を運営する指針として「計画」を策定します。計画とは、これから起こる事業環境を予測し、どう立ち向かうかを示した、いわば「未来に対する仮説」です。ところが、未来に対する仮説である計画が、走り出すと、未来を計画に寄せる作業を誘発するのです。これは手段と目的を取り違える、手段の目的化という人が陥りがちな行為そのもので、「計画の目的化」現象です。

こうなると「計画どおりにしなければならない」という強迫観念が組織を覆います。市場環境の変化も知らないふりで仮説の貫徹にひた走り、最悪の場合、粉飾をしてまで計画の達成を守ろうとします。
本来、計画という仮説があるからこそ、風向きの変化に気付けるのです。計画と現実の乖離はむしろ改善の好機。その乖離にフォーカスして打ち手を考えていくことこそ、効率的なマネジメントです。本書でも、企業の成功例は「想定外の問題がなかった」ことではなく、「想定外のチャンス」を活かしたことだという観測結果が示されています。
ところが、実際には乖離の発生自体を認めることができず、ともすれば「もっと頑張れ」という無意味な精神論を振りかざす無能なマネジメントが散見されます。詰問や叱咤激励しかできないリーダーは、状況を打開できるアイデアを持ち合わせていないと自白しているようなものです。

建て前では「戦略は差別化だ」と言っておいて、部下が斬新な案を持ってくると、「他社はやっているのか」とか「前例のないことをやって失敗したら、おまえは責任が取れるのか」などと言い出す上司は、戦略を語る資格はありません。

そもそも、そこまで信奉するに値する計画が策定されているのか疑問です。計画の策定作業は精度の高い仮説の検討というより、複数の部門の利害調整の場になっていませんか。その結果、目標とする指標・KPIが複数乱立し、何が一番大事なのか曖昧な計画が出来上がります。曖昧な問いには、曖昧な答えしか返ってきません。どうなれば成功で、どうなれば失敗なのか、ここが明確になっていない計画はズルズルと機会損失を生んでいきます。
成功と失敗の基準が明確になると、策定者や実行者の責任も明確になります。「失敗したくない」「怒られたくない」という心理は誰にでも存在し、失敗に対する許容力が低いことが計画を曖昧にさせるのではないでしょうか。

「自分が何をしたいか」よりも「どのような行動をしたら一番叩かれにくいか」や「説明しやすいか」が行動規準となっていないでしょうか。「言い訳づくり」のスプレッドシートやパワーポイントにエネルギーを費やして、肝心の戦略作りが「言い訳の延長」になっていないでしょうか。そこでなされているのは意図的な機会損失です。

機会損失を避けるために

機会損失を避ける、言い換えれば「後悔をなくす」ことは、いかにして可能なのでしょうか。

本書では、目的=判断基準を明確にすることを訴えています。企業でいうところのビジョンの共有です。ビジョンというと、どこか総花的で綺麗な言葉を並べている「建前」のような印象がありますが、本来は意思決定の基準、価値観の基準なのです。一般的に、日本人は物事を抽象化して考えることを苦手としています。だから目に見えるもの、具体的な「手段」に注意が行き、目的化してしまうのです。
近年、日本ではハロウィンが盛り上がりを見せています。しかし日本人は「仮装」という具体的手段だけを輸入し、その目的(文化的、宗教的文脈)は共有できませんでした。抽象化思考が苦手な日本らしい現象です。
確実に未来予測できる方法はない以上、迷った際は手段を捨て、目的・価値基準に合わせて行動することが重要です。逆に、そこで行動がブレてしまうのは、ビジョンが浸透していない証左です。

とはいえ、行動には失敗が伴うものです。

失敗に関し、マイケル・ジョーダンは「沢山のミスをした。沢山の試合に負けた。ウイニングショットを外したことだって何度もある。失敗して、失敗して、失敗し続けた。だから僕は成功できた。」と語っています。
失敗しなければ、成功の方法など分からないのです。素晴らしい成功事例も、そこから言語化、抽象化、再現性が図られなければ、大して意味はありません。

こう考えると、意思決定というものの見方が変わってきます。マイケル・ジョーダンがシュートを外したとして、それはシュートという意思決定の間違いではなく、意思決定した結果をより良い未来に結びつけていくかの問題なのです。僕たちは決定を「どの選択肢を選ぶか」という問題と捉えがちなのですが、それはただのステップに過ぎません。大事なことは、その選択を良い未来に変えていくことではないでしょうか。

思想家のラルフ・ワルド・エマーソンは「英雄」という存在を、普通の人より勇気があるのではなく、5分間ほど勇気が長続きする存在と表現します。意思決定に必要なものは、優れた頭脳や冷静な分析力ではなく、5分間ほど長続きする勇気なのでしょう。

機会損失をなくすこと、後悔をなくすことは可能か。それは、より良い選択を選ぶことではなく、選んだ選択をより良いものにしていくということに他なりません。

本書『機会損失』は、特に大きな組織体でお仕事するする皆さんに読んでいただきたい内容です。思わず「あるある」と頷いてしまうと同時に、自分の行動に対しての振り返りにもなります。自分を含めた組織全体を、もう一人の自分が高い場所から俯瞰的に見られる知的経験を得られるはずです。

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