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うつ病の苦しみを知る

2009年11月10日、一人のドイツ人男性が自死の道を選びました。彼の名はロベルト・エンケ。現役のプロサッカー選手であり、ドイツ代表にも選出されたゴールキーパーでした。17歳でプロ契約を勝ち取り、その後は国外から羽ばたき、ベンフィカ、バルセロナといった欧州でも屈指の名門を渡り歩きます。一見すれば、誰もが羨む輝かしいキャリア。一体、何が彼を自死に追い詰めたのか。

エンケはうつ病に苦しんでいたのです。

『うつ病とサッカー』はエンケの長年にわたるうつ病との壮絶な戦いの日々を、遺族や近しい人々、そして本人の日記から書き記したものです。希望に満ちた選手生活の始まり、海外移籍での挫折、愛娘の死、うつ病の発症と克服、そして再発に至るまで、周囲の献身的なサポートとそれも虚しく不安の渦に飲み込まれていく過程が、500ページ超にわたって綴られています。

僕たちが普段目にするプロサッカーという華やかな世界の裏側の、監督やチームメイト、オーナーとのすれ違い、移籍までの苦悩なども生々しく再現されており、改めて「サッカー選手」もひとりの人間であるという、当たり前の事実を再確認できます。

うつ病とは、認知のエラー

最初に言っておきたいのは、「うつ病」は断じて「メンタルの弱さ」「人間的な弱さ」ではないということです。同じサッカー選手であれば、ヴィッセル神戸に所属する世界的スターのアンドレス・イニエスタ選手も自身がうつ病にかかっていたことを告白しています。スポーツ以外にも、たとえば歴史上もっとも偉大な英国人と尊敬されるチャーチル元首相でさえ、重度のうつ病に陥っていたことが知られています。屈強な男たちでさえ苦しむうつ病を「心が弱い」などと断じる人は、見当違いも甚だしい、己の無知を晒しているようなものです。

うつ病のメカニズムは科学的に解明されていません。ただ、これまで僕の周囲にあった例、そして本書で描かれている例には、ある共通点があります。それは、認知のエラーが起きており、重篤な症状はそのエラーが過大になっていることです。

エンケ本人の言葉を見てみましょう。

全てが崩れていく。(チームから)出て行かなくてはならない。もううまくいかない。
もうこれ以上は無理。恐怖しか感じない。ホテルの部屋を出る恐怖、新聞を開く恐怖、グローブをはめる恐怖。
なぜ行きたくなかったフェネルバフチェへ移籍したのだろう?みんなが言っていたようにイスタンブールに数週間残っていたらどうなっていただろう?このぬかるみからは決して出られないだろう。
失業中の感覚はサッカー選手でも電気技師でも同じだ。自分が役立たずのように感じた。

ミスによる失点への自責、ファンや記者の視線への恐怖、移籍したことの後悔、チームが決まらなかった時の無力感が、絶望的な言葉で綴られています。しかし、考えてみて下さい。ミスなど誰でも犯すものですし、ファンや記者など、所詮は自分とは関係ない赤の他人の勝手な意見です。移籍したことを悔いても選択した時には戻れませんし、職場が決まらない時は仕事しようがありません。お気付きでしょうか。あらゆる事象が誰にでも起き得る「よくある話」で、本人が悲観的に認知しているだけなのです。

以前のnoteにも関連することを書いたのですが、不安に苛まれる人の多くが、自分でコントロールできない問題を「自分事」として考えてしまう傾向にあります。僕の周囲で見られる例では、仕事のプレッシャーや自分の力不足を気に病んでしまうケースが多いように思います。自戒も込めて、ここで明確にしておきましょう。仕事で起きている問題など、どこにもあなたの「自分事の問題」は存在しません。全て、組織のガバナンスの問題です。あなたが努めなければならないのは、自分のやりたいことは何かを知ること、どうすれば状況を楽しめるか工夫すること、ただそれだけです。

幸せとは、どこまで重圧に耐えられるかを知っていること。本来の姿ではない自分を称賛する者たちから遠ざかり、喜ばせようとしないこと。本来の自分よりもより良く見せようと気にかけないこと。

エンケを追い込んだもの

エンケがうつ病を発症したのは、自死から7年前のことでした。きっかけは当時所属していたバルセロナでの処遇。オランダ人監督のファン・ハールは、ゴールキーパーに堅実な守備力よりも、攻撃の起点となれる足下の技術を求めました。エンケはこれまでそんな技術を要求されたことはなく、普段の練習ではコーチから厳しい言葉で追い詰められていきます。当然、先発からも外され、ベンチやスタンドで試合を眺める日が続くようになりました。ポジションを取ったのはビクトル・バルデスという地元スペインのゴールキーパーで、確かに足下の技術に秀でていました。ただし、ちょっとミスの目立つ選手でもありました。

エンケはここで混乱に陥るのです。彼が信じていたゴールキーパー像は、派手ではないものの堅実にゴールを守るものでした。言い方は悪いですが、自分の価値観と真逆の選手が重宝され、練習でも自身の理想像を粉々にされたことも混乱に拍車を駆けます。当時のエンケは25歳という、まさにこれからキャリアを大成させる年齢に差し掛かっていました。また、バルセロナに移籍する前は、ポルトガルの名門・ベンフィカで成功を収めており、家族はバルセロナへの移籍に反対していたそうです。そうしたギャップも彼を追い詰めていきます。自分の信じていたものの否定、成功を信じて疑っていなかった自信の崩壊、自分の選択に対する後悔、25歳のエンケには耐えがたい境遇でした。

とはいえバルセロナで起きたことは、「監督のニーズと自分の能力が合致しなかった」だけのことです。こういった事例はサッカー界に限らず、日常的によくある話です。他人のニーズなど自分ではコントロールできないので、悩む対象でも何でもありません。自分の理想のゴールキーパー像を追い求めるなら相応しいチームを探す、新しいスキル習得にトライする気になれば残る、自分にコントロールできるのはどちらかの選択だけです。ところが、エンケは「絶望」という歪んだ認知に陥ったのでした。

失意のエンケは大して行きたくもなかったトルコの強豪・フェネルバフチェへの移籍を拙速に決めてしまいます。ここで、一度狂った歯車がエンケをさらなる窮地に追い込みます。トルコ自体、ドイツでは「終わった選手が行く国」と見なされており、本人もキャリアが頓挫したことを自覚し、新天地なのに自己肯定感は回復されないままでした。バルセロナでは不遇とはいえ話のできる友人もいましたが、塞ぎ込んだ状態で訪れたトルコでは他人と良い関係を築けません。さらに、一度芽生えた挫折心が「いつ自分はミスするか分からない」という不安を生み、うつは悪化の一途を辿ります。次第に朝起きれなくなり、練習に通うのも苦になっていきました。それどころか日常生活のほんの些細な決定、たとえば今日は何を食べるかさえできなくなっていくのです。

簡単なことをする力すら奪っておいて、何もできない無力感に浸らせることによって、さらに病気の中に沈めていく。それがうつの手口なのだ。

克服、そして再発

それでも、エンケはうつ病を乗り越えた時期がありました。トルコでの失意のシーズンを経て、移籍先の決まらない無所属の期間を過ぎ、スペイン2部に流れ着きます。スペイン2部のチームは貧しく、他のゴールキーパーはグローブすら新品を用意できないような有様でした。エンケは何気ない気持ちで自身のグローブをプレゼントし、それがきっかけでチームに溶け込み始めます。次第に自身の野心よりもチームの成功を願う心が芽生え、周囲から必要とされることで自己肯定感を高めていきました。

もうひとつ、この頃のエンケは短い詩を書き始めていました。これは注目に値するエピソードです。不安というものは、その解決を考えれば考えるほどに頭を支配し、身動きを取れなくし始めるのです。認知行動療法のひとつに、とにかく不安を書き出すというものがあります。「書く」ことで頭にこびりついていた不安が身体から放たれ、それを客観視することができるのです。エンケの詩はまさにこの効力を持っていました。

今、僕は満足していて幸せだ。素晴らしい大晦日を過ごした。僕は笑い、踊った。信じられない!

しかし、エンケの努力や周囲のサポートの成果も、長くは続きませんでした。エンケはこの頃、初めての娘を授かったのですが、生まれつき心臓疾患があったのです。愛娘との幸せな日々は長く続かず、充実していた日々を「娘のためにできたことがあったのではないか」という一筋の後悔が切り裂くのでした。

それでも、娘の死を乗り越えたエンケはドイツ代表に召集され始め、2010年の南アフリカワールドカップの正ゴールキーパーの候補にまで登り詰めました。一度は失ったキャリアが上昇気流に転じ、周囲の称賛も日増しに高まっていきます。

しかし、それとは対照的に、次第にうつ病の影が再び忍び寄ってくるのでした。時に、ファンやメディアの批評は暴力にもなります。当時32歳になるエンケの耳に「もっと若いゴールキーパーの方が良い」という声が入ってきます。エンケが自分の力で疑念の声を払拭したいと思えば思うほど、体は言うことを聞かなくなり、再びベッドから動けない、練習・試合が怖いといった症状に苛まれる日々が始まります。

この頃のエンケは、うつ病を公表して楽になりたい気持ちと、ワールドカップ出場の権利を手放したくない気持ちの天秤で、正常な判断を失っていきます。周囲の勧めに耳を貸さずうつの治療を拒み、ある時はふさぎ込み、そうかと思えば試合に出たりと、尋常ではない状態に陥っていきます。

結局、うつ病という事実は伏せられたままエンケはドイツ代表を離脱し、ワールドカップ出場は叶いませんでした。ワールドカップまで残り半年となった頃、エンケは「練習に行ってくる」と言い残しそのまま帰らぬ人となりました。

注目したいのは、うつ病の再発の過程です。状況はバルセロナの頃とは異なり、一線で活躍するようになっていました。それにも拘わらず、娘の死への自責、周囲の評価の払拭など、自分のコントロール外の問題に傾倒していったのです。

うつは決まったパターンをたどらない。うつの傾向がある人がストレスに満ちた状況をやり過ごしたからといって、一見無意味な要因によって、ある時すべてが台なしになる可能性が消えたわけではない。

エンケが伝えたかったこと

本書がここまでエンケの機微に触れることができたのは、他ならぬ彼自身の意思があったためです。本書の著者であるロナルド・レングはエンケと親しく、「いつか君の本を一緒に書こう」と提案し、エンケもそれを見据え、自身の「記録」を記していたのです。

僕が最も考えさせられたのは、妻のテレサに伝えたエンケの言葉でした。

もし君が僕の頭の中に30分だけでも入ることができたら、なぜ僕がおかしくなりかけているのかが理解できるだろう。

うつ病に苦しむ人たちに、「どうしてそうなったのか」という理由は明確に存在しません。僕たち周囲の人間は症状の根治を望むあまり、明確な理由を知りたい思いに駆られ、それが本人を追い詰めていくのかも知れません。

本書でエンケの人生を辿ると、認知のエラーにより自己肯定感を失い、まるで自分が無価値で愛される資格がないような錯覚に陥っていく様子が分かります。エンケの家族が、友人が、チームメイトが、彼のことを愛していたのは、彼が優れたゴールキーパーだからではないのに。エンケは心優しい人物で、自分とポジションを争うゴールキーパーにさえ、移籍の相談に乗ったり、ミスに落ち込んでいるのを勇気づけたりしていました。本書では、彼の優しさに支えらえれた選手の証言が数えきれないほど登場します。

断言しても良い。成功も失敗も、あなたがコントロールできることではありません。あなたを愛する人があなたの成功を喜ぶのは、成功そのものではなく、あなたが嬉しそうだから、ただそれだけです。成功すること自体と、あなたが愛される理由との間には、特に因果関係はありません。あなたが栄光から転げ落ちようが、列の最後に並ばされようが、あなたを愛する人にとっては、そんなこと大した問題ではないのです。去っていく人など、最初から存在しなかった人。あなたは何も失っていません。

うつ病に苦しむ人が自死の道を選ぶのは、死を望んでいるわけではなく、頭の中にある闇を終わらせたいからだといいます。そして自死を決意した人は、その直前には症状が回復したかのように見えるといいます。これは「苦しみの終わり」が見えたことで、皮肉にも苦しみから解放された状態になっているのです。死ぬ直前のエンケも、同じように一旦は症状が和らぎ、日常生活を取り戻したかのような様子だったようです。

うつは性格の弱さではなく、ステータスや人生の成功、強靭さとは無関係にかかる病気である。幸福のために必要だと我々が思っているものを持っているかどうかも関係ない。

エンケが伝えたかったことは、何だったのでしょうか。残念ながら、それはもう知る由もありません。僕たちにできることは彼の人生を通じて、うつ病の苦しみを「知る」こと。そこから、彼の真意を想像することが託されているのだと思います。

彼は自分のありのままを残すことで、うつ病に対する認識を「普通のこと」に変えたかったのではないでしょうか。僕には、こんなメッセージが聞こえてくるのです。

「僕はうつ病になった。とても苦しい日々だ。でも、それは特別なことじゃない。君も、君の隣の人もなることだってある。だから声を上げて良いんだ。うつ病に苦しむことも、それを隣で支える辛さも。」

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