また向井秀徳に声をかけられなかった


私には、数年前から足繁く通う銭湯がある。
そこはこじんまりとしてはいるが綺麗な場所で、小さいながらも露天風呂やサウナもあり、価格帯もお手頃。
一人暮らしを始めたころから、度々通うようになった。

私のルーティンとしては、身体を洗った後に一度湯舟に浸かり、そこからサウナ→水風呂→外気浴→湯舟のセットを3回ほど繰り返す。
なんやかんや、最後に湯舟に浸かるときが一番好きだったりする。

私はめちゃくちゃ目が悪い。瓶底みたいな丸眼鏡を普段かけており、コンタクトレンズは持っているが着けるのがめんどいのと高価なためかなり着用を渋る癖がある。銭湯に行くときに眼鏡は着けて入らないため、基本的にほぼ何も見えていない状態で入る。結構難儀である。




あれはその銭湯に通い始めてまだ半年くらいの頃。その日は偶然コンタクトレンズを着けていた。銭湯内の様子、人の顔などくっきり見えるのがちょっと恥ずかしいまであった。サウナの中で知らんおっさんの汗とかまでくっきり見えるのが普通に嫌なのもある。

私は湯舟に浸かっていた。結構長々と浸かっていたので、のぼせない内に上がろうとしたその時、目の前に誰かがざぶんと音を立てて入浴。
どうやらおじさんっぽい。なんかため息みたいな声が漏れ出ている。基本的にはそんな人の顔を見ようともしないので、その謎の漏れ出る声だけが聞こえていた。その主の顔をさすがにちらりと見た。向井秀徳だった。

私は興奮と困惑と焦燥と緊張など様々な感情がとんでもないスピードで頭を駆け巡った後、まだ自分のルーティンを1セットしか終えていないのに、足早にその銭湯を後にした。逃げ出した。




私にとって、向井秀徳というアーティストは生きる伝説みたいなところがある。NUMBER GIRL、ZAZEN BOYS、Kimonosなどなど。確実に私の音楽人生にヘッドショットをかましてきた作品ばかり生み出している。
音楽を自分もやり始めてからというもの、彼の凄さはこれでもかというほどに身に染みて感じるわけである。凄まじい。どんな脳みそしてたらあんな曲が作れるのだろうか。

思い返せば、大学卒業の際に所属していたサークルの卒業ライブでNUMBER GIRL(1曲だけZAZEN BOYSもやった)のコピーバンドをした。自分の中では唯一無二、憧れのその先にいるような人物であることをわかっていただきたい。

彼は私と同じ湯舟に浸かっていた。あり得ないような現実の話であった。その事実を受け止めるのには少し時間が必要だった。家に帰り、少しの間ぼーっとした後、私は絶望した。なぜ話しかけなかったんだ、俺。
こんな機会二度とないかもしれないのに。千載一遇のチャンスをみすみす逃していいものか。
…とはいえ、銭湯に入っているリラックスした状態の時に話しかけられるのって果たしてどうなんだろう?世間一般で考えれば非常識な気がするし、声を掛けなくて正解だったのかもしれない。いや、でも無礼を承知でも話してみたかった気持ちも強くあるわけで…

何を考えても後の祭りだ。私は絶望しながら床に伏した。
さようなら、向井秀徳…





1か月後、そしてさらにその半年後…、と今までに私は計4回ほど向井秀徳にその銭湯で遭遇した。何が千載一遇のチャンスなものか、結局まあまあな頻度で見かけていた。
しかし、毎回タイミングが絶妙だった。ある時は私が脱衣所に入るタイミングで出ていき、またある時はその逆であり…。
最初以外はすべて話しかけるようなタイミングも存在せず、そういう意味では最初のタイミングを逃したのは痛かったなと常々思い返してはいたのである。

そしてつい先日。私は、いつものように銭湯へ向かった。偶然、その日はコンタクトレンズを着けていた。
毎度の如く湯舟に浸かり、サウナへ入り、水風呂へ浸かり、外気浴をした。
落ち着いたところで、また湯舟へと向かう。奥まったところに陣取り、肩まで湯に浸かった。休日だったが、少し時間が早めだったこともあってかそこまで混雑はしていなかったので過ごしやすかった。

私が浸かっていた湯舟はまあまあの広さを有していたが、その時は私しか入っていなかった。
誰かが湯舟に入ってきた。入ってきた時から私はちらりと顔を見た。
向井秀徳だった。

最初の時に似た、あの雑多な感情たちがふつふつと私を侵食していった。
湯の熱さも相まって、脈打つスピードはぐんぐん上がっていった。
向井秀徳は私の隣に腰を下ろした。やはり謎の声が漏れ出ている。というか、小声の「よいしょ」とか「そいやっさ」みたいな感じだった気がする。

私はずっと横を見れずに、ただ悶々としていた。
めちゃくちゃ話しかけたい。話す内容も粗方決まっている。失礼を承知で伺いますが、向井秀徳さんですよね、昔からめちゃくちゃ好きです、応援しています、失礼しました。こんな感じ。
ちょうどこの湯舟内には私と向井秀徳しかいない。こんなチャンスは無い。無礼?いや、ちょっとそんなこと構ってられない。二の轍を踏んでたまるものか、俺は話しかけるんだッ!!!!!向井秀徳にッ!!!!




私はサウナに入りながら、見るからにうなだれていた。
やはり話しかけられなかった。
あれやこれや考えている間に、みるみる湯舟には他のお客さんが入ってきて、もう時すでに遅し。アホかと。なんで即行動できないんだ俺は。
逃げるようにまたもや湯舟を後にし、サウナに入り、水風呂へ。よく見たら、ずーーーーっと向井秀徳は1つの湯舟を入ったり出たりしていた。表情を変えずに。普通にのぼせるくらい入ってた。

勇気が出ずに話しかけられなかったというどうしようもないオチですいません。でも、やっぱりああいうプライベートな場所で話しかけるのは良くないのかなと最終的には自分に言い聞かせるように落ち着きました。
いつか私も演者として向井秀徳に認識してもらえるよう頑張ります。


オモイデインマイヘッ‼

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