子どもの頃のあり方は、人生を決めるのか?(2

子供の頃の記憶を掘り起こしてみると、やはり大きな影響は拭えないと感じた。

今の自分に感じているプラスの部分、マイナスの部分。

様々な要素が重なり合って、まだら模様の自分を作っている。

人生に「もし」はないというが、結局はその人が持つ縁と運がその人を作っていくのだろう。

それでも、現在の自分を肯定しながら、自分が望む方向に少しづつ進んでいくために、自力で作れる縁と運もあるのだと思う。

さらに子どもの頃を振り返っていく、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

体育館裏に呼び出されて、他の生意気だと思われていた数名と不良グループにリンチに遭ったこともあった。

自分を殴った不良は、実は以前クラスでの態度が悪く、委員長だった自分が腕力で制圧してしまったことがあった相手だった。

それ以来彼には、後ろめたさを感じていたので、殴られるままにしていた。

悔しい気持ちはあったものの、殴られたことで却ってすっきりして、対等になれた気がした。

リンチにも平然としているように見えたのだろう、不良たちにも一目置かれた。

こういったことも人生観に大いに影響している。

不良のような人間がいても、嫌悪感というよりは、一人の人間として見る心持ちを持てている。

このことは今で言うダイバーシティのようなもので、境目のない人間感を持つことに役立っていると言える。

中学生の時に、同級生の葬式に2度出たことがある。

死因ははっきりとは分からない。

薬物による中毒かイジメを苦にした自殺か、学校が荒れ過ぎていて、他人にまで目が行かなかったのだと思う。

委員長として慕われていたことは思い出すが、悲しみなどはなかった。
存在が消滅してしまうということが、心情とは別に、単なる物質的変化にしか過ぎないような無常観があったような気がする。

音楽以外の成績は良かったので、地域で2番目の高校に進学した。

先生に勧められた勉強重視の高校には行かず、学生運動などが行われたことがある、先進的だった高校を選んだ。

しかし学生運動の時代は終わっていた。
シラケ世代と言われる時代になっていたのだ。

覇気のない学生につまらない授業しか、そこにはなかった。

ここでも先生がやってくれた。

悪評高い中学校から行ったので、いきなり「あぁ、あの中学校からよく来たね。」というようなことを言われたのだ。
出身校で明らかに劣等生のような扱い。
無気力な人間でななかったので、本当に悔しかった。

同じ中学校から行った女子も同じような目にあったのだろうか、中学では相当に優秀だったはずなのに、高校でグレて、暴走族に入った子がいた。

高校では、こんな具合だったので、更に冷めた。

好きな教科の好きなところしか勉強しなかった。

好きなところではトップの成績だったが、それ以外は全く勉強しなかった。

自分では目立つつもりではなかったが、みんなを先導して授業中に紙飛行機を一斉に飛ばしたりしたので、目立ってしまったのだろう。
割に人気はあった。

不良にはならなかったが、白けた生徒であった。

運動も出来たので、スポーツ大会では活躍したりした。

独自に鍛えていたので、体力測定では、学年1位だった。

水泳大会でも1位になった。

同級生から水泳部に誘われたので、2年生から水泳部に入った。
それまでは帰宅部だったが、部活にも興味があったのだ。

水泳部に入ってからは、部活が中心だったが、近い学年は人数が少なかった。
2学年上の先輩が人数も多く、面白い先輩たちがいた。
卒業しているのに、部活に入り浸っている先輩もいて、いろいろな意味で刺激を受けた。

もう時効だと思うが、当時は大会の帰りにピザ屋に寄って、ピザを食べ放題で食べ、その上ビールまで飲んだ。

余談だが、最初に飲んだときから大ジョッキで7杯くらい飲めて、その時から酒飲み人生は始まったのだと思う。

勉強は、数学、生物、地学、歴史、現代国語、倫理、美術が好きだったが、いわゆる勉強ができる生徒ではなかった。
好きな単元はトップクラスにできるのだが、それ以外は勉強しないので成績は上がらない。
どの科目も同じで、興味のあるところしか勉強しなかった。
ただし現代国語だけは全国でもトップクラスだったと思う。
模試の成績を先生に真っ先に聞かれたりしていた。

進学のクラスを決めるときも選択科目を数学、生物、美術などにしてしまい、進学には全く関係なかった。
それぞれのクラスの同級生からは、理科系に進むのだろう。美術大学に進むのだろうと思われていたようだった。
受験のときも、お前はどこを受けたのかと聞かれたが、適当にごまかしていた。

水泳部の先輩には航空大学も勧められたが、既に目が悪くなっていたので、選択肢から外れた。先輩の何人かはパイロットになった人もいた。

大学受験も、そんな様子では受かるわけもなく、浪人した。

しかし、浪人とは名ばかりで、予備校に行くといっては図書館に行って哲学書などを読み漁った。

哲学は人生の明確な指針にはならなかったが、考え方の裏付けにはなった気がする。

浪人して1年後、受験はしたが、結果を待たずに就職する。

本を読むにつけ、大学に行く意味が見いだせなくなったのだ。

社会を知らずに、学問など意味がないと思ったのだ。

自分で探した仕事は、英会話教材を売る仕事だった。

旅と人生のまとめ(1 でも書いたがこのときに初めて海外旅行に行った。

続きます、、

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

3

シーサン

埋没してしまいがちな記憶を、記録にしてみようとはじめたnote
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。