釣りについて考える(2

釣りの経歴を書いたが、ただ普通に釣りをしていて、クレイジーなほどではなかったし、一生続ける程ではなかったと思う。

それが、何故か漁師になった。

釣りが日常になったわけである。

何事も1万時間やればプロといえるそうだ。

仕事なら一日8時間として、1250日、休みも含めれば、4〜5年だろう。

確かに、どんな仕事でも4〜5年やれば仕事はプロといえるだろう。と言うか、プロを目指すなら4〜5年は一生懸命にやらないと見込みはない。

釣りで言うと、趣味の釣り人はどんなに好きな人でも、週1回釣りに行ければいいほうだ。

毎週行くとして、年間52回、このペースだと1万時間に達するのは24年目、行けない週もあれば30年くらい掛かることになる。

自分は、漁師を始めてから10年以上になった。

この計算で行くと、釣りが大好きな釣り人の、一生分くらいは釣りをしたことになる。

もちろん釣りの世界も奥深く、一生かかっても到達できない領域もあるが、もう一般の釣り人とは違うとは思う。

漁師としては、10年やっても半人前な感じが拭えないが、釣り人としては、胸を張ってもいいだろう。

さてプロになってくると何が違うか、分かりづらいと思うがいくつか例を上げてみる。

ある日突然、釣りをしていてアタリがある前に魚が餌を食うのがわかるようになる。

以前、古武術家の甲野善紀先生のセミナーに参加したことがあって、その時に僭越ながらと、この話をしてみた。

すると、フナ釣り名人がウキが動く前に魚の気配で魚を釣るというような事を聞いたことがあるとおっしゃった。

釣りはフナに始まりフナに終わるというのだが、奥の深い釣りの代名詞だ。

こうなってくると、釣り人も剣術士のようなもので、気配を察するということが達人の条件のようになる。

剣術と釣りの共通点があり、釣り師は剣の代わりに竿を持った侍と言うことになる。

魚の方も気配を察する。

よく初心者が大物を釣ることがあるが、釣り人はこれを、釣ろうという欲がないから釣れたのだという。

確かに不思議なもので、釣ろう釣ろうとすると、釣れないということはある。

自分の針を魚に喰わせるためには、気配を消すと言った、言葉では言えないような領域もあるかもしれない。


更に言えば、魚がどこにいるかわかってくる。

経験を積んでくると、その海域のポイントを熟知してくるので、気候や潮の流れなどを経験的に判断して、魚のいる場所に向かう。

しかし、更に進むと感覚的に、魚の気持ちが分かる感じで、居場所が感じられるようになる。

人間も動物である限りは、本能の領域を持っているはずだ。日常では意識されないが、自然の中に入ると、そういった部分が出てくるのだろう。

実際生物としては、本能の領域のほうが長い歴史を持つのだから、人として意識していない部分のほうが、生きる上で大切なのかもしれない。

そう考えると人間という生き物の可能性はまだまだありそうだ。

釣りというのは、最も身近な、野生の生き物と出会う場所だ。

そして実際に生き物と命のやり取りをする場は、そうはない。

普段釣りをする人も考えないだろうが、魚も野生の生き物だ。

魚というのは、完璧な弱肉強食の世界を持っている。

今、自分より小さな魚を食べた魚が、次の瞬間にはより大きな魚に食われてしまう世界なのだ。

だから生き物としても洗練されている。

生存するための適応が完璧に行われているのだ。

もちろん生き物はすべからく、適応し、美しい生態を持っているが、人間が、その生き物を直接捕獲するのは魚がいちばん身近なのだ。

さすがに動物を直接捕獲する人は、あまりいないし、昆虫も捕獲し食用にはあまりしない。

そう考えると、人間と魚の関係は特殊な関係だといえる。

子供から大人まで、野生の生き物と対峙する場だと考えると、釣りという行為も、何か神聖な感じさえしてくる。

漁師の先輩たちには、ある意味超人的な人もいた。

殆どは、もう引退したり、亡くなったりしたが、自分が漁師になったときには現役で漁をしていた人もいた。

深海の魚を釣る漁師は、昔は麻で縄った釣り糸を使って、石を結びつけて重りにして、釣っていたという。

子供の頃に、その重りにする石を拾うのが重労働だったと言っていた。

今では考えられないことだが、数十年前までは、古代の釣法とさして変わらないことをしていたのだと思うと、このところの人の進歩の急激さは、不思議な感じだ。

そんな名人は、水深が500mも1000mもある深海のごく限られたポイントにしかいない特殊な魚を得意としていた。

普通の釣り人は一生掛かっても釣れないような魚を、いっぺんに5匹10匹と釣ってくる。

普通の漁師でも、狙っても釣れない。釣れてもまぐれだ。

その魚は、ごく浅いところで小魚として過ごし、成長とともに徐々に深場へと移動していく。様々な状況を生き抜いた、とても神経質な魚で、頭もいい。

だから、同じ場所でも、状況が整わないと釣れないのだ。

そして深海。

スカイツリーのてっぺんから、下にある車に石を当てようとしても簡単ではないはずだ。

それを流れもある水中を、船さえ風などで流されるのに、ポイントに仕掛けを入れなくてはいけない。

神業と言える。

人も、極めていくと、人間的ではない能力を持ちうるのかもしれない。


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シーサン

埋没してしまいがちな記憶を、記録にしてみようとはじめたnote
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