子どもの頃のあり方は、人生を決めるのか?(1

旅と人生を振り返ってみると、改めて、人のあり方を決めるのは何なんだろうか、と思う。

子供時代の環境や家庭のあり方だろうか?

多くはそこに原因を求めたりする。

もちろん、影響は否めないが日々変化できるものと信じたい。

人は死ぬまで成長できると思いながら生きて、成長したい。

日々の出来事に謙虚に接することで、変化は可能だと思う。

それでもより多くの出来事を吸収したであろう、子供時代を振り返って見ようと思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

生まれも育ちも横浜の下町だ。

まだ昭和の色が濃く残る下町は、今思えば、戦後の雰囲気さえも残っていた気がする。

家の前は、材木屋だったし、住んでいた家は木造平屋の2軒長屋(長屋とは今のアパートみたいなもの)だった。

縁の下(床下のこと)は覗けたし、庭というには狭い空間が家の周りにあって、道路との仕切りの塀は木造でトタン張りだった。

横の路地は舗装されていず、土だったし、電信柱は木だった。

京浜工業地帯にあったので、家のすぐ近くに鉄工所や化学工場もあった。

住民も地方出身者が多く、もともと住んでいる人間も工場などの労働者といった感じだった。

朝鮮部落も近くにあって、治安も良くない地域だった。

これも今思えばで、住んでいる時はそれが普通だったし、治安についてなんて考えもしなかった。

幼稚園の頃から手におえないような悪ガキが居たが、それも普通だと思っていた。

喧嘩やイジメも日常茶飯事だし、自分も喧嘩した相手の兄貴が出てきてリンチされたこともある。

リンチされたのが悔しくて、体を鍛えたりした。

家の鴨居で懸垂をしたりして、小学生のうちに20回はできるようになったし、水泳やサッカー、暇があれば自転車に乗って遠乗りもした。

知力より体力という、野生の世界のような子ども社会だった。

ちょっとストイックに物事に取り組んだりする癖は、このときに得たものかもしれない。

小学校高学年からは、勉強も面白くなってしまって、本もよく読んだ。

比較的優等生で、勉強もできたし運動もできた。

先生にも可愛がられて、このころ先生に勧められて読んだ「シュリーマン」の伝記が、その後の海外に対する憧れを作ったような気がする。

しかし、こんな環境でもさらに優秀な子どもはいるものだ。

学級新聞を一緒に作っていた優秀な同級生は、新聞の企画や編集をこなして、異彩を放っていた。

中学校も評判のいいところに進学し、地元の荒れた中学校には来なかった。それが良かったのか、その後東大にまで行った。

父親にはその子と比較されて、それまではまだ無邪気だったが、不必要な劣等感を植え付けられた。

そのせいか、厭世感を持った冷めた子どもになっていった。

学年が進む頃には、悪ガキたちも一人前の悪人に成長してくる。

普通の子でも、家のお金を盗み出してみんなに大盤振る舞いして学校で問題になったりした。

悪ガキは、先生にも挑みかかって、取っ組み合いをしたりするほど、荒んでいた。

高度成長期のこの時期は、学校の校舎は木造から鉄筋に建て変わり、近所の工場も住宅地化した地域から移転して行って、跡地が空き地からマンションになった。

大人たちも変化の真っ只中に居たのだろう。

どの家庭も手一杯だったに違いない。

子どもたちにもその影響が出たのだと、今ならわかる。

そして、それでもまだ小学生は可愛いものだった。

中学に上がると、悪態は本格化していった。

結果、地域でも一番と言われるほど荒んだ中学校になった。

タバコを吸い始めるのはまだ可愛い方で、学校でアンパン(シンナー)を公然と吸っている輩も居た。

2年3年と進むと、更にひどくなって、授業もほとんどまともに行われず、悪さを注意した先生が病院送りになったりした。

爆竹が教室に投げ込まれたり、冬休みの終わりに木造校舎が焼け落ちてしまった事もあった。

不良の多くは外では暴走族などに加わっていたので、集団で学校に殴り込みなんてこともあった。

結果として、警察が毎日学校の周りをパトロールするようにもなった。

自分は、荒れた中学の中では優秀だったので、学級委員長などやらされていた。しかし投票では次点だったにも関わらず、得票の多かった女子を差し置いて、先生が自分を委員長にしたことに反発を覚えたりした。

それ故に、学級運営に反抗的な消極的な関わりをした。

消極的になったといえば、中学の音楽のテストで聴音のテストが行われた。そのテストでは、楽器などを習ったこともない自分が点が取れるはずもなく、不公正さに反発して、音楽の授業をまともに聞かかなくなった。音楽の成績だけ異常に悪い結果となった。

それ以来、音楽は好きなのだが、入っていけなくなってしまった。

思春期といえるのか、感受性の豊かな時期に、大人の思いやりのない言動が子供の心を傷つけることは、これらのことで身にしみている。

大人が持っている「理不尽」という特性を今でも嫌っているが、ルーツは子供時代にあるということだろう。

皮肉なことに自分も大人になってしまったが、結局大人なんていないと気づいたのは最近のことだ。

続きます。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?