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どうも随分生きづらいと思ったらHSPだった | 古性のち

自分の感情を「生きづらい」と表現するにはあまりにも乱暴すぎるし、そんな一言であの複雑な思い達を片付けてしまうのは、何だか過去の自分に申し訳ない気さえする。それは例えば「もしもし。そんな言葉でまとめられちゃうなんてたまらないぜ」と天井から怨念になったわたしが降りてきて、文句を付けられても仕方ないと受け入れられてしまう。そんな申し訳なさだ。

正直、今も自分の人生が生きづらいだなんて思ったことはない。
だけれどどう考えても他人から見た私の人生はどうやら「生きづらい」のだ。

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今までインタビューだったり、他愛のないお喋りだったり、それはいろんなところで語っているけれど、わたしは学校がすこぶるに嫌いだった。どれくらい嫌いだったかというと、神様が降りてきて「あなたの願いを3つだけ叶えてあげる」と言ってくれたら「叶えてくれる願いはひとつだけで結構ですので、明日の朝起きたら学校を綺麗さっぱりこの世から無くしてください」とひざまずいて懇願しようと心に決めるぐらいには嫌いだった。

学校嫌いの歴史を遡ろうとすると、なんと幼稚園まで戻ってしまう。
すでにこの頃から筋金入りの集団行動嫌いと「理由もないのに何かをやること」が苦手で、特に今でも覚えているのが折り紙の時間。

先生がお手本を折り、それに習いみんなが楽しくサンタクロースやかたつむり、鶴なんかを折っている横で、いつもわたしは涙でぐしょぐしょ濡れていた。
あの頃の事は流石にあまり覚えていないけれど、ぎゅっと締め付けられる胸の痛みや動悸、じっとりと手のひらにかく汗の緊張感や不安な気持ちが混ざり合ってぐちゃぐちゃになっていた感覚だけは、昨日のことのように思い出せる。

小学生にあがっても、中学、高校、専門とステージを変えてもいつまでたっても「理由もないのに何かやること」と出会うたび反発してしまい、先生からは「大人の言う事を聞かない問題児」と公式認定マークをいただき、わたしはと言えば集団行動と先生に対して過度なアレルギーを持ったまま、大人になっていく。

苦しかった(のだと思う、多分)。

制服を着なければいけない理由も、
文化祭をやらなければいけない理由も、
XとYの関係性も、
酸素ではなく二酸化炭素を生成してしまう自分も(詳細は省略するけどとにかくショックだった)、
こんなに人間が地球上にいるのに子供を欲しがる人がいる理由も、
恋愛に費やす時間が生み出す何かも、

その答えをくれる大人は誰もいなかったし、
私の手のひらの中にも、頭の中にも、どこにもなかった。

そのたびあの、幼稚園の折り紙の時間の焦燥感と戦っていた。


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「古性さんは、生きる事を気負いすぎている。HSPという診断で間違いないと思います」

折り紙事件から始まったわたしの「家族以外の人間と生きていく」というミッションは大人になればなるほど、自分の選択肢が自由になればなるほどに困難を極め、ついには集団生活を放棄し「定住せず世界中を飛び回りながら働くフリーランスライター・フォトグラファー」という非常にニッチでイレギュラーな大人が完成していた。

なぜそういう生き方を選んだのかをたくさん聞かれたけれど、選んだのではなくて、できないことを排除していったらこうなっただけなんです。

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そんなまま30歳になって、HSPという言葉に出会い、HSPカウンセラーのみさきじゅり先生に出会った時、自分の謎のこだわりとか、理由を欲しがることとか、理不尽とか、不安とか。緊張に名前がついたような気持ちになって、ふと肩が軽くなったのを感じた。

”HSP”

状況は何も変わっていないのだけれど、ああそうか。
私はどうやら生きづらいを、自覚せずに垂れ流ししていたのだと、希望の光が見えた気がした。

「Highly Sensitive Person」という名前のついた薬

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HSPという言葉が近年、メディアを賑わしている。
わたしもそんなメディアのおかげでこの言葉に出会った。

HSPとはハイリー・センシティブ・パーソン(Highly Sensitive Person)の頭文字を取った言葉で「視覚や聴覚などの感覚が敏感で、非常に感受性が豊かといった特徴を生得的に持っている人間」のことを指す。
割合は全人口の15~20%ほど。約5人に1人がHSPであると考えられていて、エレイン・N.アーロン博士が1996年に提唱した言葉らしい。

病気ではなく生まれつきにある性質で、セルフチェックもネット上ですることができる。以下、あてはまる項目が多ければ多いほどHSPである可能性が高まる。

・感覚に強い刺激を受けると容易に圧倒される
・自分をとりまく環境の微妙な変化によく気づく
・他人の気分に左右される
・痛みにとても敏感である
・忙しい日々が続くと、ベッドや暗い部屋などプライバシーが得られ、刺激から逃れられる場所にひきこもりたくなる
・カフェインに敏感に反応する
・明るい光や、強い匂い、ざらざらした布地、サイレンの音などに圧倒されやすい
・豊かな想像力を持ち、空想に耽りやすい
・騒音に悩まされやすい
・美術や音楽に深く心動かされる
・時々神経が擦り切れたように感じ、一人になりたくなる
・深く物事を考えやすい
・すぐにびっくりする(仰天する)
・短期間にたくさんのことをしなければならない時、混乱してしまう
・人が何かで不快な思いをしている時、どうすれば快適になるかすぐに気づく
・1度にたくさんのことを頼まれるのがイヤだ
・ミスをしたり物を忘れたりしないよういつも気をつけている
・暴力的な映画やテレビ番組は見ないようにしている
・あまりにもたくさんのことが自分の周りで起こっていると、不快になり神経が高ぶる

http://hspjk.life.coocan.jp/selftest-hsp.html より抜粋


カウンセリングはこのひとつひとつを丁寧に紐解いていく作業だったのだけれど、私の場合は以下がHSPの症状としてはまった。

・明るい光や、強い匂い、ざらざらした布地、サイレンの音などに圧倒されやすい
・ミスをしたり物を忘れたりしないよういつも気をつけている
・珈琲を飲むと眠れなってしまう
・人が何かで不快な思いをしている時、どうすれば快適になるかすぐに気づく
・それが妄想だったのか実際におきた出来事だったのか分からなくなる
・空気が読めすぎて、その場にいる人が醸し出す機嫌にあてられてしまう
・故に集団生活が非常に疲れる
・良い音楽に出会うと雷に打たれたように感動し、泣いてしまう
・物事をなんでも地球レベル・世界レベルで考える
・自分が納得できないと理解ができない
・・時々神経が擦り切れたように感じ、一人になりたくなる
・短期間にたくさんのことをしなければならない時、混乱してしまう
・忙しい日々が続くと、ベッドや暗い部屋などプライバシーが得られ、刺激から逃れられる場所にひきこもりたくなる

などなど。もちろん性格的なところもあるのだと思うけれど、どれも上にあるリストの中身を細分化するとはまる症状が多い。これらを並べるとよく人に「うわ、生きにくそう」と言われる。けれど当の本人はこんな状態でも、今も昔も全く生きづらさを感じていない。

そしてそのカウンセリングの中でふと、あの幼稚園の頃の、折り紙の時間を思い出したのだ。

あの「折り紙を折る」という行為が嫌すぎて、それからずっと私の中で苦手なものランキングに入れられていたけれど、今ならそれが折り紙への嫌悪ではなく「理由も分からずに折り紙を折らされている行為」自体に対する嫌悪だったのだとわかる。

あの時涙でぐちゃぐちゃになったサンタクロースやかたつむりには、なんの罪もなかった。
「Highly Sensitive Person」という名前が、過去の私に薬を処方してくれたのだ。


どう付き合っていくのか。多分大切なのは「物事への目線」を変えること

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現在わたしは、HSPであることを受け入れた上で、それらとどう付き合っていくのかを模索中だ。
相変わらず集団生活は苦手だし、カフェインにすこぶる弱い。
深くものごとを考えなければ動けなくなるし、事あるごとに「これは地球にとって毒なのでは...」と宇宙や地球レベルに物事を広げてしまい、考え込んでしまう。

それでもこうして、今は会社に所属し、取締役として受け入れてもらっている以上、それで良いわけない。私も私で、成長しなければいけない。

だけれどHSPは欠点ではないし、治さなくて良い。というか、生まれつきなのだから治らない。だったら物事の捉え方を変えるしかない。

そう気づいた時に、もう、毎年のように「もっと素直でポジティブな子になる」という抱負を掲げなくて良くなったし(そして一向に進歩は見られなかった)、朝ドラの主人公のように、軽やかな子を見ては落ち込むこともない。HSPではない人に憧れて1人で傷ついて、悩むこともなくなった。

そして今の私ならきっと折り紙を途中で挫折することなく折れる気がする。
あの時涙でぐちゃぐちゃにしてしまったかたつむりや鶴たちと、もう一度向き合うのに、遅くはないだろう。

HSPはマイナスではなく自分の個性であり、武器なのだ。

今の私の目標は、まずは自分を許してあげること。
そして、愛してあげることだ。

諦めず向き合って生きたい。

text: 古性のち

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