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パブリックビューイングの亡霊



セブンへ行き、本日の昼ごはんを買う。
向かいのローソンでは日本全国47都道府県ハピろー!計画"盛りすぎチャレンジ"が行われている※にも関わらず、セブンへ行ったのは、ローソンに行きすぎて気まずいからだ。本当はローソンに行きたい。
※2024年2月22日現在

セブンでは先週と比較しても明らかにショボくなっている気がする小っせえご飯と、アサリを模したバイオアサリがアサリ然としているクラムチャウダーに決めた。レジは店長。いつもいる。気まずい。最近の会う回数では親や友人より明らかに多い。もはやバンドメンバーとすら言ってもいい。

「555円です。おっ!!」

パチパチパチパチと拍手する店長。何の拍手だ。
12000ポイントもチャージしたナナコで支払おうとしたが、その綺麗な数字を無機質に電子マネーで制圧するのは気が引けたため、使うつもりのなかった財布を取り出し、500円玉と50円玉と………あれ、5円玉がない。1円玉5枚で払った。



僕はこの時、2022年12月11日を思い出した。

その日はNUMBER GIRL(以下ナンバガ)というバンドの解散ライブ『無常の日』があった。巨大なアリーナを埋め尽くす人々。解散への悲しみと、これから繰り広げられる熱演への期待が渦巻き、今にも溢れかえりそうな混沌の中で皆がナンバガ登場を待っている…………のを、僕は地元の映画館で見ていた。

パブリックビューイング

現地チケット落選組や、現地まで行くほどではないけど、近くの映画館なら…ぐらいの意欲の人(僕)が集まる、不気味な催し。おそらく新しめの文化なので、参加したことない人も多いのではないだろうか。
スクリーン上に生中継で映し出される、アリーナを埋め尽くす人々の反面、映画館には死んだ顔の客たちがまばらに座っていた。映画館といえばポップコーンだが、誰1人も手に持っていない。
我々は映画を見にきたのではない。パブリックビューイングの亡霊なのだ。

日曜夕暮れの商業施設
映画館には大人子供がはびこっとる
俺はそれを眺めながら立っていた
「コイツはSLAM DUNK」
「コイツはすずめの戸締まり」と
いかにもわかっとるふうな顔をして立っていた
鋭い目を向け品定めしかせん連中が数人立っていた
俺もその1人だっちゅうことに気づいた時
すでに真っ黒けっけの部屋の中
俺たちはライブを甘んじとった

PUBLIC VIEWER/TENNGUMAN


ギターボーカルの向井秀徳の
「アーユーオーケー?」
の一声ののち、一曲目「大当たりの季節」でライブが始まる。
すさまじい熱気と叩きつける音の圧。曲が終わると割れんばかりの拍手が起こった。
一方、映画館。ワーッ!!と拍手をする現地の客から数秒、二人組の男性がペチペチと拍手をした。それに釣られて周りも僕も、「ペチ…ペチ…」と拍手をした。

間髪を入れずに向井は「あの子は例えば透明少女」と口にし、ギター田渕ひさ子があの感情を揺さぶるイントロのギターを弾く。代表曲「透明少女」だ。観客皆が歓声を上げ、盛り上がりは2曲目にして早くも最高潮に達した。
一方、映画館。「おっ……」と後ろから聞こえたような気がする。咳かもしれない。前方の1人が拍手していたように見えたが、演奏の轟音で僕まで聞こえなかった。


このパブリックビューイングにおける拍手は何の拍手なのだろうか。
当然現地のバンドや関係者に届くわけはない。だからといって映画館のスタッフに向けられたわけでもない。客同士の感情を高め合う効果すらない。迷いの中に生まれた拍手は行き場もわからず映画館のシートに染み込んで消えていく。

現地に行くほどの本気さはないけど、わざわざ金を払って映画館に来るぐらいの熱量の観客が、恥ずかしさと意味のなさを抱えたまま繰り出す拍手の奥ゆかしさ。だからこそ僕はパブリックビューイングが好きだ。

ただし、これがサッカーのパブリックビューイングとなると、きっと応援歌を歌い出し、隣の客と肩を組んで頬に日の丸を塗りこんで、ゴールが決まれば万雷の拍手を送るのであろう。僕が聞きたいのは、もう少しためらいを含んだ、あのかわいらしい拍手だ。いうなれば青春の公園。恥ずかしくて目をそらした先に芽吹く、たんぽぽの蕾の美しさを知るかのような、あの美しい拍手だ。



仕事帰り

どうしようもなくデカビタが飲みたくなり、本日2度目のあのセブンへ向かう。
入ってすぐ右、デカビタをしゅっと取り出し、そそくさとレジへ。レジは店長だった。

「店長さんいつ行ってもいるじゃないっすか」
「朝からずっとで…人が足りないんですよー」
「えっ、朝からずっと…!お疲れ様です」

僕は手にスマホを持ったまま数回ペチペチと拍手をした。支払いはナナコだった。

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