ナインストーリーズ ド・ドーミエ=スミスの青の時代

p202《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
わたしの両親は一九二八年の初頭、まだ冬の季節のうちに離婚したのであるが、当時わたしは八歳で、母はその同じ年の晩春にボビー・アガドギャニアンと結婚した。一年の後ボビーは、例のウォール街の株価の大暴落で、自分の持物も母の持物も一切を失ってしまったが、どうやら魔法の杖一本だけは手元に残ったものと見える。

p92 《笑い男》
一九二八年、私が九つのときである。私は〈コマンチ団〉という団員の一員で、団結心のきわめて旺盛なメンバーであった。

p204 《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
わたしは少々身をかがめるだけの労さえ取らず、すなわちこの運チャンのように人には聞かせぬように、あくまで礼節を守ってという配慮すら示さずに、フランス語で彼に言ってやったのだ-彼は粗野で、愚鈍で、横柄な低能であり、わたしがいかに彼を嫌悪するか、とうてい彼には見当もつかないであろう、ということを。

p70《対エスキモー戦争の前夜》
「しみったれ」という言葉を口にするくらい腹を立ててはいたのだが、ことさらそこに力を入れていうだけの度胸はない。

p139 (キャッチャーインザライ)
手袋を手にしっかと持ったぐらいにしてんだけど、腹の中じゃ、こいつの顎に1発くらわすかどうかすべきとこだ-こいつの顎を砕いてやるべきとこだ、なんて思ってんだな。ただ、そいつをやるだけの度胸がないってわけだ。黙ってそこに突っ立って、すごんで見せるのが関の山。

p205《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
わたしは午前中から昼過ぎまで、四十八丁目通りとレキシントン街との角にある美術学校に-少なくとも身体だけは-出席していたが、この学校がわたしは嫌いだった

p154《エズミに捧ぐ》
「ひとつの壁が隣の壁になんて言ったか?」甲高い声で、彼はそう言った「なぞなぞだよ!」私は考えにふけるように目玉をぐるぐる動かしながら天井を睨んだ。そしてその問題を口に出して繰り返した。それから、チャールズに当惑げな顔を向け、降参だと言った。
「『角のところで会いましょう』じゃないか!」とたんに最高の音量で、傑作な答えがとんできた

p205《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
わたしは『ハーバード古典叢書』を一揃い買い込んだ。

p154《エズミに捧ぐ》
「父は古文書の収集家なんです。-もちろん、アマチュアですけれども」

p207《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
最近妻を失って間もなく南フランスのささやかな屋敷を後にしてこのアメリカに渡り、目下ある病気療養中の親戚のもとに滞在している(この滞在が一時的なものであることをわたしは強調しておいた)。

p84《大エスキモー戦争の前夜》
「いや、ひどいんだな。ぼくのアパートに同居してた奴だけどね、何ヶ月も何ヶ月も何ヶ月も-口にするのもいやだな、あんな奴のこと。…作家だか何だか知らないけど」彼はこの最後の所をいとも満足げに力を入れてつけ加えた。おそらくヘミングウェイがその小説の中でいつも蛇蝎のように扱う作家というものの像を思い浮かべたのであろう。
「何をしたっていうの、その人」
「率直に言ってぼくは、あまり具体的なことには触れたくないんだけどね」青年はそう言うと、テーブルの上に透明な煙草のケースが置いてあったのに、わざわざ自分の袋から一本取り出し、自分のライターで火をつけた。その手は大きな手だった。が、逞しくもなければ器用そうでもないし、敏感そうにも見えぬ。それなのにその手の動作には、手が美しい仕草をしたいという欲求に駆られてひとりでに動いてしまうといったような、美的効果を狙ったしながいちいちついて回った。

p209《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
それから聳え立つような乳房をした娘たちが、浮世の悩みなどつゆ知らぬげに波乗り板に笑い興じている姿-こうした彼女らの幸福も、つまりはアメリカの通弊とも言うべき歯茎の出血、顔のしみ、醜い髪の毛、そして不適当ないし不十分な生命保険から十二分に保護されていればこそというわけだ。

p162 《エズミに捧ぐ》
舌の先でちょっと押しただけでも歯茎から血が流れ出すので、その具合を試してみずにはおれなかったのである。それは時によって何時間も続く、彼のささやかな遊戯であった。

p209《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
最後に家庭の主婦たちの図柄-適切な銘柄の粉石鹸を使わなければ、髪の毛はばさばさ、姿勢は崩れ、子供らは手に負えず、ご主人は不平不満、手は(するなりとしているのに)ざらざらに荒れ、台所は(ゆったりとして広いのに)汚れ放題-となる可能性が十分というところ。

p213《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
日曜日、モントリオールのウィンザー駅のプラットホームに降り立った私の服装は、ベージュ色のギャバジンのダブルの背広(私がとても得意に思ってた奴)にネーヴィ・ブルーのフラノのワイシャツ、真っ黄色のコットンのネクタイに茶と白のコンビの靴、それに(実はボビーの物でわたしには少々小さすぎる)パナマ帽をかぶり、生後三週間の赤茶色の口髭をはやしていた。

p 210《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
私はフランス語で手紙を書いたのに、返信は英語であった(後で推測したのだが、ヨショト氏はフランス語は分かるが英語は分からないのであってみれば、この手紙は何かの理由でヨショト夫人に書かせたものであろう。夫人は日常の用を弁じる程度の英語の知識は持っていたのだから)。

p157《エズミに捧ぐ》
エズミは立ち上がると「イル・フォ・ク・パルト・オーシ(わたしもおいとましなきゃ)」吐息をつきながら、そう言った「あなた、フランス語ご存じ?」

p157《エズミに捧ぐ》
私は、悔恨と困難と、ふたつながら入り混じった複雑な気持ちを味わいながら、椅子から立ち上がった。エズミと私は握手を交わした。彼女の手は、予測したとおり、掌がしっとりとして、いかにも神経の細かそうな手だった。私は彼女が同席してくれて、どんなに楽しかったかしれないと、英語で言った。

p214《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
そして私のその核心を衝く質問を耳にするたびに巨匠はきまって鉛のような重い足を引きずるようにアトリエの反対側の壁にかけられたあの『大道軽業師』(訳注ピカソのいわゆる「青の時代」から「桃色の時代」を代表する一九〇五年の作。大胆な変革へ進む前の古典的写実の時代)の小さな複製の前にゆっくりと歩み寄り、失って久しいかつての彼の栄光の画境にしみじみと見入ったものだというこも。

p59《コネティカットのひょこひょこおじさん》
ラモーナはのっしのっしと大男の足どりをまねてゆっくりと部屋を出て行った。

p223 《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
それは派手やかな色で仕上げた水彩画で、「彼らのあやまちを免せ」(訳注マタイ伝六章十四節より)というタイトルがついている。小さな男の子が3人、池ともつかず沼ともつかぬ何とも面妖な水辺で釣りをしているところだが「魚釣り厳禁」と書いた立ち札の上に一人の子の上着がひっかけてある。前景にいる1番背が高い子は片方の脚がくる病にかかり、もう一方の脚は象皮病にかかっているように見える-この子が少し両脚を開いて立っている感じを出そうとして、ミス・クレーマーが意識的に用いた技法に相違ない。

p159《エズミに捧ぐ》
チャールズが先頭に立ち、片方の足がもう一方の足より数インチ短い人みたいに、ひどいびっこを引きながら歩いてゆく。

p81《ゾーイー》
Sは僕に向かってにこやかな笑顔を向けながらかぶりを振って、利口というのは僕の痼疾、僕の義足だ、こいつを指摘してみんなの注意をそこに向けさせるのは最大の悪趣味であると言ったな。びっこ同士だ、ゾーイ君、お互い丁重親切にしようではないか。愛を込めて B

p224《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
二人の人物の衣服の乱れが写真のような克明さをもって描かれていて、実を言うと、この絵が持つ風刺的な意味よりもむしろそこに駆使されている職人的技術にわたしは感心した。

p162(シーモア 序章)
詩人の役目は書かねばならぬものを書くのではなく、むしろ書かねばならぬことを年老いた司書たちを人間的に可能な限り一人でも多く引きつけるように意図した文体で書くという責務を果たすか否かに生命がかかっている場合に、書くであろうと思われることを書くことだと、信じている、もしくはただ情熱的にそう憶測している人間と議論することはできない。

p61(ゾーイー)
遅くならないうちに言わせてもらうけれど、いま話しているこのゾーイーについて、互いに複合したというか、重複しているというか、一つのものが二つに分裂したというか、とにかく一括すべき一件書類みたいな格好の二つの記事を、ここに挿入するのが至当であろう。

p156 (ハプワース)
ぼくは何よりも、自分の書き言葉と話し言葉の大きなギャップに死ぬほどうんざりしているって!二種類の言葉を持っているということは、すごく気持ちが悪くて、不安なんだ。

p251《テディ》
しかし、仕事を離れて休暇をとっているときの声は、単なる音量を楽しむときと、舞台もどきの静かで落ち着いた物言いを楽しむときと、この二つが交互に入れ替わるのが通例であった。

p162《エズミに捧ぐ》
それで、いま彼は、1時間以上も前から、同じ文節を三度ずつ繰り返しながら読んできたのだけれど、今度はそれを文章ごとに切って、同じ文章を三度ずつ繰り返し読んでいるところであった。

p237《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
バンビ・クレーマーとR・ハワードリッジフィールドのデッサンの全部を、いわばバラバラに解体してから真新しい部分を使って組み立て直してやったばかりでなく、それぞれにデッサンを練習するための宿題を文字通り何十種類も考案してやった。どれも人を馬鹿にしたような幼稚きわまる課題ばかりだけれど、為になることは間違いない。

p226《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
ジンマーマン親父が(この名前にわたしは特に注意を引かれた。わたしの歯を八本も抜いた歯医者と同じ名前だったからである)

p229《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
ヨショト夫人のほうは感じるものがあったらしい。いや、少なくともまるきり感じないというわけではなかったようだ。

p235《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
事実がはっきり分かるのはいつも遅きに失するのが通例だけれど、「喜び」と「仕合わせ」の最も著しい違いは「仕合せ」が個体であるに反し、「喜び」は液体だということだ。

はい、またまた出てきてごめンゴ。ここがねー、、オイラとしたことがもう片割れが行方不明なんらー。線もページ数も折り目をつけてさえいない。。この俺が!!うっそーーん、自分を考察するに、ここじゃない箇所を読んでた時にここを見つけて、やっほーい!と舞い上がって、みつけたとこだけに線引いて心が満足しちゃったんだろうな。こうなると大変。だって本は4、5冊あるんですから、今朝はそんな不甲斐なさの中、自分を罰しながらこの箇所を探すのだけに時間使ったんだけど、いまだ行方はわかっておりません。もどかしい。結構見つけたとき、わー!ってなったんよ。ここは要チェクだなーって、こんな時マジで一昨日も話したけど、まさしくあの覚えてない夢の時とまったく同じ感覚なる。なんか名前欲しいこの現象に。片割れが行方不明だから千と千尋症候群にでもしとく?意味は覚えているのに名前が出てこない、もしくはその逆。それに類似した現象に見舞われる事を千と千尋症候群とここに命名す!ふー。なんで、もし、もう片割れのほうを見つけた方はご一報を。捜しています。これから私も道辿る道中探し探しには行くけど、もう片割れの雰囲気としては個体、液体みたいなのは出ててそれがちょっとこれと違う形で書かれてあった。見つけた時はなんでそれをそう思うんだろう?と思うんだけど、ああここでこう書いてたからだからかー。みたいになった記憶が💭ナインストーリーズ内ではなかったような、フラニーとゾーイかキャッチャーインザライだった気がするようなしないような、、わかんない。考えだすとどこにでも出てきた気になる。どこにも見つからないくせに!はい。これが桐島失調症ね。捉え方が違うだけで状況としては千と千尋症候群と限りなく一緒ね。それと本文に、「事実がはっきり分かるのはいつも遅きに失するのが通例だけれど、」と書いてあるからといって、それに習ってあえて見つけるのを遅らせてるんでないかと深読み都市伝説してくるンゴ族がいるかもだけど、断じてそれは違う。考えすぎだ。僕のことをふつうに考えて、考えすぎなければ、もう片割れ見つけた喜びに耐えきれず、そんな事気にもせずに、いや気づきもせずに喜びのままここに書くだろうし、わざわざ間を開けて記入し直すなどめんどくさいことをこの僕に限ってするはずがないということがわかるはずだ。そんなことわざわざやらなくても進めていくうちにすでに書き終わってる箇所でも加筆せなならんなーってとこはちょいちょい出てきてもいるし。バナナフィッシュのオハイオ州付近じゃないの?オハイオ州がそのまんま私の住んでいるところよ。みたいな文のとこなんて、サリンジャーお気に入りなのか色んなところで多用しててまだ書ききれてないのが2、3個ある。あと単純に見逃してたところもあるし、ひと段落したらその辺の手直しもしていかなくちゃな。でも今日はしない(パワーワード)じゃ、ということでぼちぼちまた本文に戻りますʕ⁎̯͡⁎ʔ༄

追記 今日ハプワースをぼちぼち進めていたところ見つけましたんで加筆しときますʕ⁎̯͡⁎ʔ༄

p235《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
事実がはっきり分かるのはいつも遅きに失するのが通例だけれど、「喜び」と「仕合わせ」の最も著しい違いは「仕合せ」が個体であるに反し、「喜び」は液体だということだ。

p17(フラニー)
フラニーとレーンは、ふたりとも、マーティニを飲んでいた。十分か、十五分くらい前、グラスがはじめて運ばれてきたとき、レーンは味を試すように軽く口をつけてみて、それから身体を起こすと、つぼにはまった店に、非の打ちどころもないほどつぼにはまって見える女の子を連れて入っている(ということは、誰の目にも明らかなはずと、彼は信じていたにちがいない)、その、いわば固形物みたいに実体のある満足感を味わいながら、ちょっと店の中を見まわした。

はースッキリした。やっぱりフラニーとゾーイだった!し普通に線もページ数も記してあったわ。ページ数的にもこんな早い段階のとこにあるのに何故探していた時あんなに見つからなかったのか謎だ。疲れていて頭回ってなかったのか?
でも固体はあるけど液体でできてないじゃんって?
それマーティニの事だろうに!固体が液体へと変化していくようにここでは描写へと変形がなされて書かれてあったのだね。液体の方は。これをセットで書いてるあたりやっぱり確信犯としかいえない。こういう思わせぶりなところが多々あるよね。例えば鍵カッコの区切り方が変な書き方だなーとか思ってるともう一つの側もそんな書き方になってんの。でもおれがそれを見つける時はそれとは別の内容的な理由で繋がってるなと思って見つけてんの。でよくよく見てみれば書き方まで一緒だ。じゃ、ここで間違いないな。みたいな。あとはこうしてセリフを抽出していってると次の気になる箇所がその前の箇所の物語を広げていくような展開を促してるよう感じられる場所があったりだな。確信的にやってんだなと思わせる箇所が随所に見受けられるよね

p238 《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
どこか知らぬがその日外出先から戻ってきたわたしは-すでに暗くなっていたことははっきりと覚えている-学校の前の歩道に立ち止まってそこの医療器具店のあかあかと灯りがともったショーウインドーを覗き込んだ。そのときである。なんともおぞましいことが起こったのだ-いつの日にかおれは人生を心静かに、もしくは聡明に、もしくは優雅に生きる術を悟るかもしれぬ。だがそれにしてもおれはしょせん一介の訪問客、琺瑯引きの溲瓶や便器の花が咲き誇り、目の見えぬ木製のマネキン人形の神が、値下げの札のついた脱腸帯をしめて立っている花園を訪れた一介の訪問客にすぎぬではないか-否応なしにそう思い込まされたのだ。そんな思いに数秒以上も耐えられるはずはあるまい。

p245〜248 《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
それから15分ばかり後である。きわめて異様なことが起こったのだ。こんな言い方をすると、ありもしないことをまことしやかに語る際の常套手段らしく聞こえて、不快を与えることは百も承知だが、事実は全く逆なのである。私がこれからお話するのは異常な経験談であり、今でもわたしはこれを理性の次元で把握し得ない体験だったと思っている。わたしはこの話を単なる神秘主義の事例、あるいはそれとすれすれのものとして簡単に片付けているような印象はできることなら与えたくないのだ(そうでないと、聖フランシスの癩者に対する態度と、簡単に魂が高揚して日曜日にだけ癩者に接吻する尋常な人間の場合とこの両者の精神の発露の姿は単に程度の相違に過ぎぬと言う-もしくはほのめかす-ことにもなりかねぬ)。
道路を渡って学校の建物に近づいてゆくと、9時の薄明の中に、一階の整形器具の店には灯りが灯っていたが、その店のショーウインドーの中に生身の人間がいるではないか。びっくりして見てみると、三十がらみの屈強な女性で緑と黄と柴のシフォンのドレスを着ている。木製のマネキン人形の脱腸帯を取り替えているところだった。ウインドーの側まで歩み寄っていくと、女性は古いのを脱がせたばっかりのところらしく、左腕の下にそれをかい込み(右の「プロフィール」をこちらに向けて)マネキンを穿かせた新しい脱腸帯の紐をしめていた。私が魅せられるように彼女を見守りながら立っていると、そのうちに彼女は、不意に自分が見られていることを気配で察し、続いてこちらを振り向いた。私はとっさに微笑した-タキシードを着た人間がガラスの向こう側の黄昏時の中に立っているだけで、敵意も何もないことを彼女に知らせる為に-だが、その甲斐はなかった。彼女はまさに常軌を逸した狼狽ぶり、顔を真っ赤にして、脱がした脱腸帯を取り落とし、一歩下がった拍子にうずたかく積んであった扇状版をふんづけて-足をとられてよろめいた。反射的にわたしは手を差し伸べたが、ガラスに指先をしたたかぶつけたまでのこと。彼女はスケーターのようにどすんと尻餅をついた。が、わたしには目もくれずに彼女はすかさず立ちあがった。そして顔を赤くしたまま、片手で髪を撫であげると、もう一度マネキン人形の脱腸帯の紐をしめにかかった。まさにそのときである、わたしの「経験」と称したことが起こったのは。突然太陽が現れて(と、こういうことを言うにあたって、わたしはそれ相当の自意識を持って言っているつもりだが)太陽が現れて、わたしの鼻柱めがけて、秒速九千三百万マイルの速度で飛んできたのだ。わたしは目がくらみ、ひどくおびえて-ウインドーのガラスに片手をついてようやく身体を支えたくらいである。続いたにはほんの数秒に過ぎなかった。そして再び目が見えるようになったとき、ウインドーの中にはすでに女性の姿はなく、後には二重の祝福を受けた世にも美しい琺瑯の花の花園が微かな光を放っていた。
わたしは後ずさりをしてウインドーを離れると、力を抜けた膝が旧に復するまで、そこの一郭を二度回った。それからウインドーをあえてふたたび覗こうとはせずに、階段を上がって、わたしの部屋に入り、ベットの上に横になった。何分間かの後に-あるいは何時間もたっていたのかもしれない-わたしは日記にフランス語で手短に次のような文句を書き込んだ-「シスター・アーマーには自らの運命に従う自由を与えよう。すべての人が尼僧なのだ」
その夜、眠りにつく前にわたしは、退学させたばかりの四人の生徒に手紙を書いて、彼らを復学させた。事務当局に手違いがあって、と、書いたけれど、実を言うと、今度の手紙はひとりでに筆が動いてゆくような感じだった。あるいは、腰を下ろして書き始めるまえに、階下から椅子を一つ持ってきたことと何か関係があったのかもしれない。

p240 《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
夕食のためにキチンさしての行列に参加すべき時間になった時、わたしは気分が悪いので失礼させていただくと言った(一九三九年当時のわたしは本当を言う時よりもうそをつくときのほうがはるかに確信のある物言いになった。だから、気分が悪いといったとき、ヨショト氏はきっと胡散臭そうにわたしを見たに違いない)

p207 (ド・ドーミエ=スミスの青の時代)
絵は幼い頃から始めたが、両親の最も古く最も親しい友人の一人であるパブロ・ピカソの忠告に従い、展覧会に出品したことは一度もない。然しながら、わたしの筆になる油絵や水彩画の数々は、現在、パリでも最上流に属し、しかも新興成金では決してない家庭の壁にかけられていて、酷評にかけては当代最も峻烈といわれる批評家たちの数人からもかなり注目されるに至っている。妻が癌性潰瘍で時ならぬ悲惨な死を遂げてからは、二度と絵筆を握るまいと真剣に考えたのであるが、最近蒙った財政的損失のためにこの真摯な決意も変更せざるを得なくなった。〈古典巨匠の友〉校にわたしの作品の見本を提出することはわたしの最も光栄とするところであるが、パリにいるわたしのエージェントからそれらが送られて気次第、早速ご送付申し上げる所存である。エージェントには無論大至急その旨を書き送るつもりである。草々頓首、ジャン・ド・ドーミエ=スミス
この偽名を選ぶのにわたしは手紙全体を書き上げるのとほぼ同じくらいの長い時間を費やした。

p242《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
私の生涯で最も幸福だった日は、もうずいぶん昔、わたしが十七歳の時でした。その時わたしは母と待ち合わせの昼食を共にしに行くところでした。母はその日長い病気の後のはじめての外出だったのです。わたしはうれしくて、うっとりした気持ちで歩いて行くと、ヴィクトル・ユゴー街-これはパリの通りの名前ですが-そこへさしかかったときでした、いきなり鼻がなんにもない男とまともにぶつかってしまったのです。

p95《笑い男》
笑い男は、金持ちの宣教師夫妻の一人息子で、まだいたいけなところに、中国人の山賊どもに誘拐されたのであった。その金持ちの宣教師夫妻が(宗教上の信念から)息子の身代金を払うことを拒んだとき、山賊どもはひどく腹を立て、子供の頭を大工が使う万力で挟むと、把手に力を入れて、右の方へ何回か頃合いの程度にねじったのだ。まだ誰もが味わされたことのないこうした目にあった子供は、大人になると、ヒッコリーの実のような形の頭をして、髪の毛がなく、鼻の下には口がわりに大きな楕円形の穴が開いているといった顔になった。鼻は肉で蓋をされた二つの鼻腔というにすぎない。したがって、笑い男が息をするときには鼻の下の不気味な穴が、巨大な空胞か何かのように(と、私には想像されたのだが)膨らんだり縮んだりするのだった(この笑い男の息の仕方を、団長は言葉で説明するよりも、むしろ実演してみせた)

p97 《笑い男》
まもなく笑い男は、定期的に中国の国境を越えてはフランスのパリに入り、そこで、国際的にも有名な探偵でもあるとともに、機知に富んだ結核患者でもあるマルセル・デュファルジュの面前で、その天才的な手腕を、あざやかに、ただし控え目に発揮しはじめた。

※笑い男はコマンチ団の団長が聞かせてくれる面白いお話

p244《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
わたしはあの学校へわざわざタキシードを持参に及んだことを思い出すと、あれからずいぶんたった今日でも、現にこれを書いている今でさえ、いささか身のちぢむ思いがする。しかしわたしは実際に持っていったのだ。

p244、245《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
ヨショト夫妻がまだキチンにいる間にわたしはこっそりと階下に下りてウィンザー・ホテルに電話した。ニューヨークを経つ前にボビーの友達のX夫人が勧めてくれたホテルである。そして八時に行くからと、一人分の席を予約した。
七時半ごろ、正装をしてめかし込んだわたしは、部屋の戸口から首を突き出して、ヨショト夫妻のどちらかがその辺をうろついていないかを確かめた。なんとなく、タキシード姿の自分を彼らに見られたくなかったのだ。彼らの姿が見当たらなかったので、わたしは急いで階段を下り、通りに出てタクシーを探した。上着の内ポケットにはシスター・アーマーに宛てた手紙が入っていた。わたしは夕食の席でもう一度、できることなら蝋燭の灯りで読み返したかったのである。何丁歩いて行っても空車はおろか、そもそもタクシーなるものが一台も見当たらぬ。なかなかにつらい道中であった。モントリオールのヴェルダン地区というのは、およそ正装とは無縁の界隈で、通り過ぎる者がみんなわたしを振り返り、それがまた多かれ少なかれ咎めるような目つきで見る気がして仕方がなかった。そのうちにわたしが月曜日に「コニー・アイランド風」なる特大のホットドックを鵜呑みにしたあの簡易食堂にでっくわしたわたしは、とっさにウィンザー・ホテルの予約はご破算にしてしまおうと決心した。そして中に入って行って一番端のボックスに腰を下ろすと、黒の蝶ネクタイを左手で隠すようにしながらスープとロールパンと注文した。他の客たちの目には、これから出勤するレストランの給仕というふうに映ることを期待しながら。

p15 (フラニー)
レーンは、少し早すぎる足並みで歩きながら、残念だけど、クロフト会館には部屋がとれなかった、といった−もちろん、これはがっかりである−でも、こぢんまりとした、とてもいい家に部屋がとれた。小さいけど、清潔だったりなんかするし、彼女の気にいるだろう、と彼は言った。とたんに、フラニーの頭には、白い下見板の張った宿屋の姿が浮かんだ。赤の他人の女の子が三人、一つの部屋に泊まり合わす。いちばん先に入った者が、ぶかぶかのソファ・ベットを占領し、あとの二人が秀逸至極なマットレスのついたダブル・ベットを共有することになるのだろう。「すてき」と、彼女は力を込めて言った。

p15(フラニー)
男性というものの間抜けさ加減に対するじれったさ、それを隠すのがたまらないことが時々ある。相手がレーンだとなおさらそうだ。彼女はニューヨークの、ある雨の夜のことを思い出した。芝居がはねた直後で、レーンが、路傍の情けのかけすぎとでもいうのだろうか、タキシードを着た最低の男に、タクシーを譲ってやったのである。そのときのそれをとやかく思ったわけじゃなかった-だって、男の身に生まれて、雨の中でタクシーを拾わなければならないなんて、ホント、たいへんじゃないか−でも、そのとき歩道の所へ戻ってきてわけを話したレーンの、本当に怖い、敵意を含んだ顔を彼女は憶えている。そのときのことや、その他いろんなことを考えているうちに、なんだか悪いような気がしてきた彼女は、いかにもいとしそうに、少しきつくレーンの腕を抱きしめた。

ド・ドーミエ=スミスの青の時代 完

今日は探す時間に手間とったし、新しい部分も多かったから思ったより時間かかっちまいました。かたじけねえ。

明日上げれるかねえ?借りてきたジョジョラビットとかも見たいからもしかしたら明後日とかにズレるかも

まあその日が俺の明日つーことで、

また明日ンゴ٩( ᐛ )و




















































































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