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4年半。

明石での思い出を忘れないために、備忘録として綴ります。


4年半前の2015年1月に、兵庫県明石市にある営業所に異動しました。

ずっと本社勤務だったので、不安でいっぱいな毎日。
唯一できるのは、電話対応のみ。

前任者は派遣さんだったので、契約解除が決まっていて、困っても助けてくれないのでやるしかなかったのです。

引き継ぎ期間は1ヶ月半ありました。
それでもゼロから業務を覚える私にとって、少ない時間でした。

まずは営業所の人の顔と名前を覚えるところから。
そして、全然知らない土地の大まかな場所を覚える。

日々の業務と書類の作り方や注意すべき顧客情報、様々なことをメモに取り、頭に叩き込む毎日でした。

前任者が退職し、いざ1人になると、全く仕事ができなくて、毎日あたふたしながら処理していた記憶です。
そんな時、いつも助けてくれていたのは、同期であり明石業務の直前に1ヶ月だけ最低限の教育をしてくれた同期でした。

最初の半年は何をしても上手くいかず、営業所員にたくさん迷惑をかけていました。
クレームにならなかったのは、本当に幸いでした。

その後、親会社との連携もなんとか取れるようになった一年後、新しい年度に切り替わり所員にも入れ替えがありました。

また人とエリアの覚え直し。そして年度始めにだけある仕事の処理など、まだ覚えることが多い日々でした。

上司も代わり、どうやって連携を取るか試行錯誤しつつも、気づけば業務以外のたわいない話をするほどになりました。

所員はほとんどが歳上の男性ばかりで、引け目を感じていたところがありました。

顔を合わせるのは、朝と夕方遅くのみ。
話すことと言えば、仕事の話だけ。
顔を合わせない日もあったので、本当に話せるのは1人、2人といった感じでした。

そんな中、どうしていいのかわからない私を助けてくれたのは、同い年の先輩でした。

彼のおかげで馴染めるようになったと言っても過言ではありません。
本当に感謝しています。ありがとう。

よく電話をかけてきてくださるお客様とも友好的になり、順風満帆だったはずなのですが。

今年の2月。
突如として春の異動説が浮上しました。

私は明石に来た時、今後異動するつもりはないこと、骨を埋める覚悟で来たことを支店長や当時の社長にお話していました。

その時、今後異動が必要になった場合は、事前に相談して納得がいってから異動させる
と仰ってくださいました。

なので、私はもう異動はないと勝手に思い込んでいたのですが。笑

しかし、待てど暮らせど異動の話はありませんでした。

「あ、あれは噂だったんだ」

そう思っていた矢先、春の人事が発表されました。

「……ん? 神戸に女子が1人異動してくる?神戸が二人体制になるの?」

基本的に営業所事務の女子社員は1人体制だったので、疑問に思って神戸の営業所にいる女子社員(前途の教育をしてくれた同期)に電話しました。

「それね、通知に名前載ってないけど私も異動なんですよ」
「?!?!」
「ちなみに、あやかさんも異動らしいです」
「なにそれ、どういうこと??」

聞くところによると、春の通知に載っている人は4月付で異動で、私たち2人だけ秋までのどこかに異動とのこと。
時期はわからないとのことでした。

その時点で意味わかんなかったのですが、さらに彼女はこう続けました。

「私が明石行くんですけど、あやかさんはどこになるか決まっていないそうです」

この時点で私の怒りは爆発でした。
いろいろ考えたのですが、辞職勧告かなと。

支店長に説明を求めましたが、返答なく。
ようやく説明に行くと言われたのは3/27でした。

モヤモヤしたまま新年度を迎え、新たな上司を迎えました。

異動が決まっている私にとって、本当にどうでもいい(と思える)1年の始まりでした。

最初の数週間は投げやりになって、最低限の仕事以外やる気になれませんでした。

しっかりしなきゃ!と思ったのは
5月から同期が後任のための引き継ぎに来ると知ってから。

片付けれる書類は全て片付けて、引き継ぎ期間が終わっても困らないように引き継ぎノートを作り始めました。

それからは本当に怒涛の日々で
気づけばGWになっていました。


5月。
初日から同期が万全の体制で(体調はやや不調)引き継ぎにやってきました。

元々やっていた業務以外に特殊業務はないかの照らし合わせや、顧客情報の引き継ぎ。
そして親会社への挨拶と連携方法。

いろんなことを話して、1ヶ月間業務を隣で見つつお任せしました。

日中、二人きりになるとたくさん話して笑って。
時には事務所裏のケーキ屋に行ってデザート買ったり。

ランチにはおすすめのお店を紹介したり。

本当に濃い1ヶ月でした。

最終日、親会社の挨拶と所員への挨拶を終えてのんびりしていると、彼女がプレゼントをくれました。

ぞうさんのペン立てとお菓子詰め合わせ。

ぞうさん可愛い!ありがとう!

帰り、所員に再度挨拶して出てきて
駅で彼女と「来月からお互い頑張ろうね」と交わして別れ、電車に乗ったら彼女からLINEが届きました。

凄く長文なLINE。

それを見て、電車の中で号泣しました。

彼女が私の後任で良かった。
彼女はどう思っていたのかわかりませんが、私は本当に楽しかったです。だから凄く寂しいです。

明石の土地柄と所員の寛容さに本当に救われていました。

もちろん、辛いこともたくさんたくさんありました。

だけど4年半過ごしたこの場所は、私にとって離れ難い特別な場所だった。

通勤が遠かろうと、チカンに遭おうがなんだろうが、それでも明石に通っていたからこそ出会えた人たちがいました。

すでに別れてしまった元彼とも、明石で出会ったなぁ……と今思うと凄く懐かしい気がします。

まだまだ全然寂しい気持ちが強いですが
クヨクヨしていられないのも事実。

6月からは心機一転、新しい場所で頑張ります。

明石で関わってくれた全ての皆様に感謝!

個人的な備忘録なので、グダグダなのは許してくださいね。


2019.06.01

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