見出し画像

遺贈寄付も「集活」 次世代の人たちとつながる

前回の「終活から集活へ」で記した「集活」について、遺贈寄付もまた、これに含まれていると考える。

遺贈寄付とは、自身の財産を死後、公益法人やNPO法人など主に社会課題解決のために活動する団体に遺贈したり、相続人が故人の遺志を尊重して遺産から寄付したりすること。拙著「遺贈寄付 最期のお金の活かし方」(幻冬舎)で紹介した通り、人生最後の社会貢献といえるものだ。

自身の人生の振り返りから
一般的な終活の中には、財産の整理も含まれる。主に、家族・親族のために遺産の配分を遺言などで指示する。これを第3者にまで視野を広げたものが遺贈寄付だ。ちょっと視点をずらすだけで、集活が目指す「つながり」が得られる。新たな縁を結ぶことができる。

どういうことか。人生最後のお金の使い方だけに、どこに贈るかの選択は、やはり重い。慎重に寄付対象となる活動を選ぶことになる。その選択の過程では自らの人生を振り返り、どんな問題を自身が課題ととらえているか、自分の人生で大切にしてきた価値観は何か、といったことと向き合うことになる。

まずこれが、つながりを結ぶ上でとても大切な行為に位置づけられる。残りの人生を、どうせなら価値観を共有できる人たちと結縁して過ごしたい。そう考えれば、まず自らの価値観の抽出こそが近道であり、不可欠な行為だから。

遺贈寄付先団体とのご縁
ある程度、寄付先の候補が絞り込めたら、団体が本当に信頼できるか、自分の大切なお金を付託するに値するだけの活動をしているかをチェックすることになる。団体を見学したり、活動現場を訪ねたり、ボランティアとして活動にかかわってみたり、少額の寄付をして反応をみたりといった、いわば「審査」をするだろう。

そのうえで納得できて初めて、大切なお金を託そうということになる。もちろん、遺贈のことは触れずにいてもかまわない(というか陰徳として死ぬまで秘すことも少なくない)が、団体となんらかの形で「お付き合い」が始まるだろう(もともと以前から長く寄付し続けていた団体だったら、安心して関係性を継続することになるだろう)。活動に関与することで、もしかしたら新しい人間関係が生まれるかもしれない。

そうした現実的な関係性以上に、遺贈寄付には大切な結縁がある。自身の目には直接は見えないが、無限の可能性のある縁だ。

目にはみえない無限の可能性の縁
自身が亡くなったあとに活かされるお金は、まさに次世代の人たちとのつながりだ。自身は直接、恩恵を受けることはない。だが、遺贈寄付したお金によって救われる人がいるかもしれない。そのお金で生きる希望が得られる人がいるかもしれない。「恩」を受けたその人が、また何かの形で社会に恩返しをするかもしれない。恩送りにより、「思い」がリレーバトンのようにずっと引き継がれることだってあるだろう。

「思い」が次世代につながり、何かを生み出す可能性がある。そう考えるだけで、生きてきた意味を見出し、自身の人生を深く肯定することにつながるに違いない。自尊感情が高まるだろう。残りの人生を価値あるものとして生きることにつながるだろう。

縁を集める「集活」。遺贈寄付は、直接目にはみえないかもしれないが、それだけに無限の可能性を秘めた縁を集めるに違いない。

#エンディング #遺贈寄付 #寄付 #終活 #死 #集活 #縁

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?