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集活としての遺贈寄付 月刊誌「Yo-Ro-Zu」にインタビュー記事が掲載

新宿・歌舞伎町で、ありとあらゆる悩みごとの相談を受けて「救う」活動をしている「公益財団法人 日本駆け込み寺」が発行する月刊誌「Yo-Ro-Zu」からの取材を受けた。その18号(2019年3月号)に、インタビュー記事が掲載された(下記PDFでご高覧可能)。活動は存じ上げていたが、実は雑誌のことは今回、初めて知った。私の記事はどうあれ、興味深い雑誌だ。

巻頭言にはこうある。

危害を加える人と、助けを求める人は同じ地平にいます。それらの立ち位置はいつでも入れ替わり、今日の被害者が明日の加害者になり得ます。ということは、誰もが、救われるだけでなく、救う側にもなれるということです。そして、人を「救う」ということの実践こそが、めぐりめぐって自分を救うことにもつながります。
たった一人の誰かを救う活動が、たった一人の自分自身を救い、その輪を広げていくための月刊「Yo-Ro-Zu よろず」です。

社会は他者への共感がなければ成り立たない。その共感が薄れ、政治が分断を助長する現在、この主張は重い。たとえ小さな一歩でも、一歩一歩を実際に踏みしめている団体の主張だけに特に重みがある。

仏教のようだなと感じながらページをめくると、最終ページに、比叡山の大阿闍梨・藤波源信さんの「真言」というコーナーもあった。内容も、受刑者からの手紙の掲載や、発達障がいを考えるなど実に硬派だ。そんな中、「新しいお金の使い方」という特集記事が組まれ、私は遺贈寄付についてインタビューを受けた。

特集の巻頭特集が「さわかみ投信」の澤上篤人さんと、駆け込み寺の代表である玄秀盛さんとの対談。澤上さんの「お金は回して活かすもの」「かっこいいお金の使い方が大事」「ありがとうも回っていく」など、人と人とのつながりの媒介としてお金を活かすことで社会はよいものになっていくという考え方には共感するところが多かった。つまるところ私が遺贈寄付がよいな、と思うのもそこだから。

私の従来からの考え方「集活」を編集部もきちんと理解してくださったようで、取り留めのない話をうまくまとめてくれている。よろしければPDFをダウンロードのうえご覧ください。私のインタビュー全文が読めます。

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