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2月のこと

ひとつも記事を書かずに2月が終わろうとしています。無理に書く必要はない、そう思いつつも、ものすごい渦みたいな力でものごとが動いているようで、波立たなかった私の心がかなりグワングワンに揺れている。今日はTwitterにぼそぼそと書き連ねていました。昨日の体験など。

https://twitter.com/inlakech389/status/1630425914441072641?t=jx8ouClg1qGZtqd67Qchyg&s=19

なにやら大げさな話のようですが、時代に完全に置いてきぼりをくらった今の私の、リアルな体験談です。

UVカット加工された、青みがかった電車の窓からみる風景は、まるで、、、精巧につくられた、ジオラマみたいに見えました。風が吹いてない、空気が動いてない感じがよけいそんなふうに感じさせたのだろうと思います。
目の前に見えているものは意識と同じく5パーセントだと。ではのこり95パーセントはどうなっていて、それをみている私の意識は、無意識は、と考えそうになる。
思うところあって津留晃一さんの本を読み返しているところで、そこには『自分に質問してみよう、そしてでも決して答えを求めないこと。答えを欲しがっているのはあなたではなく自我ですよ』とかいてあるのに。
知りたい、わかりたい、納得したい。私は自我に支配されている。

電車を降りる。見上げた空の青は灰色みを帯びた懐かしい日本のそれで、
これまでいた場所、あそこはほんとうに、南の島だったんだなあと、そんなことを思いました。

ここからまた例によって時系列バラバラの、思い付くままになります。ご容赦ください。
2月は島からの移動、役所関係の手続き、あれやこれやとありました。こう書くとたんたんと済んだようですが、かなりハードで、へとへとでした。
今は一時的に実家にいますが、まもなくここも出ます。そのための準備中です。
夜によく一人でこっそり泣きました。家に誰かがいる(両親ですが)というのは、今の私にはなんとも落ち着かないものです。涙が出て出て仕方ないけれど、わんわん声をあげて泣くことはできない。消化不良で、不完全燃焼です。

離婚したことは何人かに話したけれど、詳細を知っているのはこちら側は両親と弟夫婦、そしてたった一人の信頼できる方だけ。島を離れるにあたっても、みんなにありがとう、バイバイって言えないまま来てしまった。けれど、そうするしかなかった。数えられるものじゃないけど、たくさんのやりきれなさがあります。

島を発つ朝、友人がホテルまで迎えにきてくれました。
前の日に私が島をひと巡りしながら号泣していたと話すと、ちゃんと泣けて良かった、なんだかすべての感情がしまわれたみたいに見えたから、と言ってくれました。
泣いている場合じゃなかった、だから、島を出ることだけを考えた。そうやって、その日が来た。
泣いて出て行くのはいやだからと、元夫が送りたいと言うのを断った。そして、たぶんそれでよかった。なにしろ私が島を出たのは立春で、その前の日は節分だったから。きれいさっぱり、いい節目になるだろうと、節分の日に元夫にさよならを言った。嫌いになったわけじゃない、でももう一緒にはいられない、この感覚は誰もわかってくれないかもしれない。それでも、私という人の尊厳のために、私は離れることを選びました。

出発の朝に友人とすごせたことはとても素晴らしいことだった。元夫のこともよく知ってる人だから、詳細以外は何でも話した。私たちのお気に入りだった公園や秘密の場所を最後に教えた。そしてその場所は島育ちの彼女も知らない場所だった。
これから、彼女はきっと誰かとその場所に行くだろう。そのことが嬉しくて、その場所が誰かの大切な場所になることが嬉しくて。

まだまだ、消化不良&不完全燃焼なため、これからも少々しょんぼりしたり、めそめそしたりします。ポポのことを思い出すたびに涙が出ます。それでも私は。
前を向いて。
歩きます。

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