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新社会人になれなかったみなさんへ

ここまで来るの、大変だったろ。
しばらく此処で休もうじゃないか。
名前も知らない誰かの、夜更けの独り言なんかを読んだりしながらさ。
頑張り続けたあなたに、心からのお疲れさまを。


この時間にスマートフォンを開いて、名前も知らない誰かの独り言を読むなんて、相当疲れた御仁とお見受けする。完全にあなたの気持ちがわかるわけではないけれど、僕も同じだった。だった、と過去形になっているのは、ただ単にそうだった頃からそこそこ年月が経っているから、というだけだ。

僕も「4月1日から新社会人になれなかった人間」だった。3月が終わっても就活で内定が出ることはなく、在籍していた大学の卒業式の後には『進路は未定』という旨を書いて提出。そして知り合いの「入社式行ってくる」または「入社式行ってきた」というツイートを、春の陽気が差す部屋の中で茫洋と眺めていた。

就職活動という戦いは、長く、長く続いた。使い潰した数多のボールペン。束で買った履歴書と封筒。小さな自分の顔写真たち。
数えるのをやめた、お祈りの手紙。

「おまえはいらない」

それぞれ違う会社に、人に、宣告され続ける。そんなこと、苦しくてつらいに決まっている。数度なら、合わなかっただけだろうと思えるかもしれない。しかし数えるのをやめるくらい続けられたら「社会から必要とされない人間なんだ」と思ってしまうのは無理はないと、僕は思う。

数年経った今では思う。就職活動に適応できなかっただけだと。
3月を超えてなんとか決まった新卒カードは2ヶ月で鬱を発症し消えてしまった。でもある出会いがあって、今では「社会にいらない人間」ではないのでは、と思えている。身分も体調も不安定で先も見えない非正規ネコチャンだけれど。

でも、新社会人になれなかったみなさん。
この時間に茫洋とTwitterやらnoteを眺めているみなさん。
明日以降、どんな顔して生きていけばいいかわからないみなさん。

みなさんはきっと、すぐ未来に希望を抱くなんて難しい状況にいると思う。
きっといつか良い出会いが、と願い続けて。そして祈りの手紙をもらい続けてきたのだから。

最初にも書いた通りだ。ここまで来るの、大変だったろう。
つらかっただろう。苦しかっただろう。嫉妬も焦りもあっただろう。
もう全て終わらせたい、と思ったことも一度くらいはあっただろう。

僕は、あなたに少し休むことを提案したい。
もう一度走りたくなる時が来るまで。リクルートスーツをクリーニングに出して、(時勢からかなり難しいが)物理的にも精神的にも距離を置く。
しかしそれが100点満点の正解だとは、残念ながら保証はできない。人によって100点満点の正解は異なるからだ。走り続けて勝ち取る人もいれば、クリーニングから戻ってきたスーツ姿がなかなか様になる人もいる。

だが、これは僕が尊敬している人の言葉なのだけど、
「休養はベストではないかもしれないけれど、常にベターである」という確かな事実だ。

体力的にも精神的にも無理を重ねた時、さらにそれが長期間に渡る時。ある日突然、心は壊れる。本当はゆっくりヒビが入っていっているのだが、大変な状況を頑張っている時ほど、それに気づけない。

そして壊れた心を癒やすには、数年スパンで物事を見る必要がある。
僕は前職を抑うつで辞めたけど、未だその残り香が残っている。

だから、休むことは決して悪いことではない。
きちんと休んでいいのだ。現実に山を登る人だって、休憩はとるのだから。
就活は果てのない登山のようなもの。休まなくていい理由はどこにもない。

けれど。
もしあなたがもう少し走ってみたいのなら。
まだ諦めたくないのなら。
休息の後に、靴紐を結び直したのなら。

それはきっと、走り出す時なのだと思う。
その勇気を、決断を、心から賞賛させてほしい。

無論、休息も勇気ある決断だ。
あなたは今まで本当によく頑張ってきた。Twitterはほどほどにして、自分へのご褒美としてできる限りゆっくり寝たり、リラックスして過ごしてほしい。

さて、少しでもこの夜更けの独り言が、あなたの休息になってくれたらいいのだけど。


4月1日に入社式に出れなくても。
メディアが定義する新社会人になれなくても。
思い描いていたスタートダッシュがきれなくても。


残念ながらリセットは叶いません。あなたの人生は続きます。
いえ、続けていくために。やっていきましょう。生きていきましょう。


また靴紐を結び直す、そのときまで。


ここまで夜更けの独り言を読んで頂き、ありがとうございました。

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