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【小話と】『革命のなす』の物語【レジンクラフト】

閉ざされた教室。そこにためらいなく『風穴』を開けた青年は、振り返らずに私に言葉を投げかけた。

「例え話をしよう」

西日が眩しい。眩暈に倒れてしまいそうになる。それは開いた穴から差す夕の陽が眩しすぎるせいでもあったし、見慣れた教室に人が一人くらいなら通れそうな穴を開けるという————こう形容するのが正しいのかはわからないが————思い切った行動、のせいでもあった。私は舞う砂塵を制服から払いながら聞く。

「例え話?」

先程ためらいなく教室の壁を吹き飛ばした、名状し難い黒い筒のようなものを床に置いて、青年は無念にも砕け散った壁の残骸のひとかけらを外に放る。

「閉ざされた箱庭に外の世界への扉を創ったとする。無機物なら俺がこうして投げるという行動をすれば外に出る」

ごん、と外の地面に壁のかけらが落ちた音がする。青年はそれを見下ろしながら、頭を掻いた。

「だが、箱庭で育った人間だと話は別だ。人間は怯え、恐れ、すぐに自分達の理想郷に発生したイレギュラー……穴を塞ごうとする」
「教室に穴が開いて壊れたら、塞いで直すのは当たり前だと思うけど……隙間風?とか寒いし……」

びゅう、と強い風が吹く。私は思わずスカートを押さえた。一方で青年はざんばらの黒髪をそのままなびかせて、やはり振り返らずに風穴に手をかけて外を見つめていた。

「ああ。それが『正しい』。この理想郷に沈殿する生き方のベストアンサーだ。かつての先人たちもそうしてきたから、この箱庭は箱庭たりうる。————だがな」

先程から青年はこちらに視線を向けることはない。きゅう、と胸が苦しくなって、両手で押さえる。



「俺はこのくだらない箱庭をぶっ壊すために此処に来た」

西から差す陽を浴びた背中は、決して揺らぐことはない。伸びた背筋と、決意を込めて握った拳。

「何度直されたって、またぶっ壊してやる。……俺の後ろに誰もついてこなかったとしても」

ヒーロくん。思わず青年の名前が口をついだ。緋色(ひいろ)、という彼の本名にふさわしい赤が支配する世界には、私とヒーロくんしかいない。しかし私はいるのだ。だから誰もついてこない、なんてそんな————。

「お前は箱庭の人間だろう。その穴から……与えられた扉から飛び立つことはできるのか?」

ヒーロくんは言葉を投げかけ、その場から去った。視線が合うことは、一度もなかった。私は壁に空いた穴に近づいて、覗き込んだ。3階から見る地面は身が竦むほど遠い。死にはしないだろうけど、骨折は確実だ。

『与えられた扉から飛び立つことはできるのか?』

ヒーロくんの言葉が、心にさざなみをつくる。波紋が揺れて、揺れて、それが止む頃には狭間の赤の時間は終わりを告げ、深い青の世界が広がっていく。ちいさく呼んだ名前は、夜の帳の中に消えた。



『箱崎町』の朝は早い。『マンション』の住人は皆、日の出と共に目を覚まして、ゴミ出しや料理等の家事に明け暮れる。私は朝にそれほど強くないけれど、住処が賑やかになれば自然と目が覚めるものだ。適当に朝食と身支度を済ませて外に出る。今日も天気は良好で、他の住民の表情も明るい。井戸端会議をしている通りすがりの住民に挨拶をしながら、隣の『学校』へ向かう。

「おはよう、真壁さん」
「おはよう、成宮くん」

隣を歩いているのはクラスメイトの成宮春彦くんだ。クラスでも人気が高いのに、私のようなクラスの日陰者にも分け隔てなく接してくれる。そういうところがモテる秘訣なんだろうなぁ、と他人事のように思った。実際、成宮くんに好意を寄せている女子の声はため息が出るほど耳にしているから。

「真壁さん、知ってる? 瀬端(せばた)が今度は教室壊したんだって」
「あ、うん……知ってる……」

まさか目の前で見てました、とは口が裂けても言えず。苦笑する成宮くんに合わせて笑顔をつくる。


瀬端緋色(せばたひいろ)。

私達のクラスメイトで、全ての話題の中心に立つ生徒。成宮くんは確かにクラスの人気者ではあるけれど、中心人物にならないのはヒーロくんの存在がある。

彼は全てが規格外。入学式では初っ端から誰にも理解できない方法で会場の講堂の屋根を爆破した。「今日は天気が良いからな」と青ざめた先生を無視して雲一つない青空を称えたという。さらに彼はこの町の中でも治安が極悪な、マンションの住民から『掃きだめ』と呼ばれる地域の出身で、成績が非常に優れた『掃きだめ』住民が学校に入学できるただ一つの枠、『掃きだめ枠』を獲得し入学した生徒だ。しかし入学してからの成績は基本的には最底辺。しかし進級をかけたものや非行による退学前のラストチャンスとして設けられる試験では学年のトップをしのぐほどの点数を叩き出す。はっきり言って、意味がわからない生徒だ。

「あ、話題の瀬端。めずらしくもう来てるね」
「本当だ。ヒーロくん、いつも遅刻ギリギリなのに……」

私の隣の席。ヒーロくんは何かの本を開きながら、既に座っていた。おはよう、と声をかけると本を閉じて、昨日教室に風穴を開けた姿は幻覚だったのか、と思ってしまう程の涼やかな顔で「おはよう」と言葉が返ってきた。……なんてことない表情に騙されてはならない。教室をぐるっと見渡す。昨日と同じ場所が薄そうなベニヤ板で塞がれていた。

「見つけたか」
「……うん。あれ、もしかしてヒーロくんが塞いだの?」
「まあな。先公にどやされた。おかげで完徹だ」
「仕方ないんじゃないかな」
「だが、簡単に破れるようにしておいた」
「それ駄目だよね!?」

知ったことか、とヒーロくんは机に突っ伏した。どうやら授業を遅めの睡眠に充てるらしい。私はため息をついて隣の席に座った。やりとりを眺めていた成宮くんは楽しそうに微笑む。

「ははっ。やっぱり瀬端の扱いは真壁さんが一番上手だね」
「誉め言葉として受け取っていいのかな、それは」
「もちろんだよ。僕みたいな奴は瀬端には恐ろしくて話しかけられないから。勇気があるって意味だよ」
「なんかやっぱり褒められてる気がしない……」

軽やかな笑顔で謝りながら、成宮くんは自分の席に戻っていく。しかしすれ違いざまに声のトーンを落として耳元で囁いた。

「でも瀬端を狙うなら気をつけて。あいつ最近、僕でも知らない女の子に夢中らしいから」


今日も良い天気なんだろうなぁ。朝見た青空を思い浮かべながら、頬杖をつく。ヒーロくんが開けた風穴、そのベニヤ板の隙間から光が差しているから、外も明るいのだろう。けれど私の心は曇り空。証拠にプリントの隙間には胸に溜まった雲を吐き出した跡ばかり。要はぐちゃぐちゃの落書きだらけ。白いプリントもだいぶ薄汚れてしまった。

『知らない女の子に夢中だから』

成宮くんの言葉が無限に繰り返される。クラスどころか学校の中でもトップクラスの変人のヒーロくんが、まさか!と笑おうとしたけれど、かなり笑えなくなってきたのだ。何故なら、そのヒーロくんが隣でメモ用紙に女の子の名前をつらつらと書き出しているからだ。横目で見た時には4人分は書かれていた。どれもかわいい名前ばかり。どの子が本命?というか何人もいるって一夫多妻制!?と突っ込みたくても授業中だから何も言えず。さらに授業終わりのお昼の時間に聞こうとした瞬間、忙しそうに教室を出てどこかに去ってしまった。

『知らない女の子に夢中だから』

成宮くんの言葉通りなら、誰か他の女の子(達?)とお昼を食べているのだろうか。手作りのお弁当とかもらったりするのだろうか。あーん、とかされているんだろうか……。
味がしないお昼ご飯を食べて、放課後までまたプリントに黒い雲を描いて過ごす。
放課後はいつも、ヒーロくんと一緒に帰っている。学校からマンションに繋がる公園を通って、他愛もない話をしながら歩く。喉も渇くだろうから、とマンションに招待することもしょっちゅうだ。

「今日は用事がある」

それなのに。ヒーロくんは彼にしてはめずらしく慌ただしそうに一人で帰っていった。

「知らない女の子……」

机に突っ伏しながら、恨みがましく呟く。何故こんなに心がもやもやしているのだろうか。どうしてこんなにプリントにドス黒い雲を描いてしまうのだろうか。成宮くんがすごく何か言いたそうにしていたけれど、申し訳ないが無視した。今の私はコミュニケーション閉店時間。わかってください。
一通り雲でプリントの裏を塗りつぶした後、学校を出た。ひとりぼっちで帰る道がこんなに寂しいとは思わなかった。けれど、ヒーロくんには隣を共にする誰かがいるから……。マンションに帰って、ベッドに倒れこむ。胸にぽっかりと開いた穴、それを埋めようとぬいぐるみを抱きしめる。結局、穴が埋まることも、ベニヤの板で塞がれることもなかったのだけれど。


寝て起きても、胸に空いた風穴は消えてくれやしない。今日の空は私の心を映し出すかのように雲につつまれていた。適当に成宮くんに挨拶して、教室に行く。

「成宮くん、おはよう」
「真壁さん、おはよう。めずらしいね。僕からじゃなく、真壁さんから挨拶するなんて」
「……今日はそんな気分なの」
「へぇ。じゃあさ、放課後一緒に帰らない? そんな気分にはならないかな?」

返事は保留にしたけれど、悪くないかもしれない。ひとりぼっちで帰るよりかは、このぽっかり空いた穴を埋められるのかも———。

とうとうヒーロくんは教室に来なかった。そんなに女の子に夢中なのだろうか。女の子を追いかけて、いつかこの箱庭と彼が称した学校から消えてしまうのだろうか———。

「————ッ!!!—————ッ!!!」

聞き覚えのある叫び声がして、周りを見渡す。声の主であろう人間、ヒーロくんはいない。けれど方角的にどうやら、外、校庭にいるようだ。私は『一切窓のない教室の壁』に耳をあてる。

ヒーロくんは誰か、『女の子の名前』を叫んでいる。声音から焦りの色は見えないが、「落ちる、落ちる!!」とも言っていることがわかった。他に聞こえるのはがらごろと何か押し車を押しているような音。そして、上空から聞こえてくる小さな鈴の音。クラスの皆はなんだなんだと辺りを見渡し、先生も職員室に戻っていった。

「落ちる、落ちる!!」という言葉。そして『女の子の名前』。上空からの鈴の音。
————誰か、女の子が屋上から落ちようとしている?

ヒーロくんの声が脳裏をよぎる。

『閉ざされた箱庭に外の世界への扉を創ったとする。無機物なら俺がこうして投げるという行動をすれば外に出る』

そう、私が無機物だったら何の感情も抱かぬまま、ただ物理に流されて在ることができた。

『だが、箱庭で育った人間だと話は別だ。人間は怯え、恐れ、すぐに自分達の理想郷に発生したイレギュラー……穴を塞ごうとする』

ヒーロくんが誰かに取られるみたいで怖くなって、その不安の穴を埋めるように成宮くんに話しかけてみたりもした。ヒーロくんは唯一無二のイレギュラーだから、誰にも埋められるわけないのに。
壁のベニヤ板を叩くと、軽い音が返ってきた。長い息を吐く。

「今だ———!!」

鈴の音が大きく鳴る。きっとあれは、鈴の主が落ちた音。

『俺の後ろに誰もついてこなかったとしても』


ヒーロくんの後についていきたいと思ったから。
私は私の破壊をする。


身体全体で力を込めて、ベニヤ板を蹴り破る。身体は宙に投げ出され。手を伸ばす成宮くんが見えて。でも私は空を見て。落ちてきたものを受け止める。それはびっくりするほど軽くて。小さくて————。


「もふもふ?」



「ようこそ、箱庭を破壊した道の先へ。気分はどうだ?」

幾重にも重ねられた走り幅跳び用のクッションにつつまれて、降ってきた言葉。
こちらを見下ろすヒーロくんの額には汗が滲んでいて、少しめずらしいな、と思う。
それより。それよりだ。女の子を受け止める気でいたのに手の中に居るのは暖かいもふもふ。三角の耳にぱっちりとした耳。やわらかな黒い毛を撫でながら、ヒーロくんに何から言えばいいのか言語が大渋滞を起こしているのでとりあえず、と強い視線を向ける。

「箱庭の住人は、『ねこ』を見るのは初めてか」
「『ねこ』……?このぬいぐるみみたいなの、『ねこ』っていうの?」
「ああ。これの虜になったものは吸引をし始めるし、俺の家の近くにはこの生き物と和解せよ、と書かれた張り紙まである、恐ろしい生き物だ。その中でも関門をぬいぐるみのフリをして突破できる、とりわけ知性が高い個体を連れてきた」
「『ねこ』……『子(こ)』がつくから女の子の名前かと思ってた、だから助けたのに……」

けれど、手の中の『ねこ』は暖かい。「なぁご」とよくわからない音を出しながら目を細めている。よっつの足で私の手にしがみついて、頬を寄せている。

「……可愛い」

吸引?という行動はよくわからないが、この生き物の虜になってしまうのはわかる気がする。頬が思わず緩むけれど、そんなことしてる場合じゃない、と気を引き締めた。

「じゃあ、ヒーロくんが女の子に夢中って話は……」
「おそらくお前と同じく『ねこ』を女の名前だと勘違いした箱庭側の人間の発言だろう」
「ヒーロくんがメモに書いていた沢山の女の子の名前は……」
「この『ねこ』の名前の候補だ。生まれたばかりだったからな」
「『ねこ』は『ねこ』じゃないの?」
「お前は人間だが名前があるだろう。個体識別のために必要なんだ」
「なるほどー……?」

ヒーロくんは質問に答え切った、とでも言いそうな表情を最後に浮かべ、私と『ねこ』に背を向けた。
慌てて言葉を投げかける。

「このクッションを持ってきたのはこの『ねこ』のためだよね? それとも他に理由が……」
「さあな」
「じゃ、じゃあ破れるくらいの壁にしておいたのも、というかそもそも壁を壊しておいたのもまさか……」
「さあな」

どっちつかずな言葉だけ言い残して、ヒーロくんは去っていく。その背中は広くて、でも追いかけないとすぐに小さくなってしまう。だから必死に手と言葉を伸ばす。
じゃあ最後に一つだけ、と区切る。ヒーロくんの歩みが止まる。

「この『ねこ』、わたしがもらっていいのかな?」

ゆっくりと視線だけ振り向いて、ヒーロくんは短く告げた。

「元からそのつもりだった」

ちら、と下方を見て、すぐにまた逸らす。

「役得な光景も見れなかったし。八つ当たりはしたくない」

その一瞬の瞳の先を追いかけて、下を見る。あったのは、自分の制服、長めのスカート。
かあっと顔に熱が集まるのを感じる。心臓がばくばくと高鳴る。口をついで出てきた言葉は———。



「ひ、ヒーロくんのえっち!!!」




集まってきた生徒や教師から離れて、瀬端緋色はため息をついた。

「本当に見えなかったんだよな……」




革命ヒーローは覗かない。


はい。青春ものを書いてみました。この革命ヒーローのお話は夢で断片を見て(そっちは長編の雰囲気だったので)短編風に簡略化して形にしたものです。あまり多くを語るとこんがらがるので濁していますが、箱崎町は本当に変な箱庭的狂った空間です。もし、続きの物語が思いついたら少し書いてみたいですね。設定だけひたすら書き連ねるのとか、需要あるのかな……。
閲覧ありがとうございました。

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