就活がうまくいかなかった話。

就活なんて、うまくいかなったさ。
それでも僕は生きている。


久しぶりにnoteの画面を開いた。
なんとなく……とはもはや言えない程に社会は持久戦(または籠城戦)をキメていて、消費が滞ると気持ちも生産性も落ちきって限りある牌の奪い合いという闘争だけがおげんきだ。
そんな中であえてこうしてnoteを開いたのは、就活のお話をしたい気分になったからだ。それもとびきりうまくいかなかったヤツを。
ストレス解消と整頓の為に、少し吐き出していきたいと思う。

僕が就活を始めたのは、普通に3年生最後の冬の終わりからだった。
当時インターンシップなんてものはそんなにメジャーじゃなかった(一応やったことはあるけど)。適当に学校主催の就活ガイダンス的なサムシングに出て、自己分析やらPDCAサイクルやらエントリーシートの書き方やらを叩き込み、やっぱり学校主催の企業説明会で何社か回ってその後の段階に進んだり進まなかったりしていた。

その時の僕はやりたい職業なんてものはなく、ただ大学で専攻している分野とは微妙に違う『とある業界』に行きたいかもしれない、と思って、それとは全く違う業界の説明会も『場慣れ』のため、と称して行っていた。

色々可能性は考えてみたんですよ。でもとにかく、何度自己分析しても『創作系』とか『人に尽くす系』しか出なくて。でも僕にとってその業界は、
「性格的に向いているのかもしれないし、向いているとも他人に言われるけど、本質的には向いてない仕事」
だと思っていたから、眼中になかった。完全にアウトオブ眼中。

なので、自分の中では「メインを張るわけじゃないけど裏方的に支える仕事」の方が向いていると思ったから、その系統の『とある業界』を目指していた。それに資格がまあまあ必要(なくてもいけるけど)って感じだったから、その資格の勉強も始めながら。

で、そこそこ良い線まで行ったりはできたんですよ。でも、だめだった。おそらく肝心なところでの気の迷いが見えていたんでしょうね。「本当にここでホネを埋められるか?」みたいな感情を。そもそも『心からやりたい仕事』なんて素晴らしいものは大学4年のモラトリアムでも手に入れられなかったので。

そんな時に毎度律儀に送られてくる『お祈り』は真綿で首を締めるかのようにじわじわと自己肯定感を失わせていきます。
4月、5月、6月。どんどんカレンダーは破かれて、就活用に買った手帳のメモ欄の残りは減っていき、何枚履歴書を書いたかなんて記憶から薄れていきました。

Q.(履歴書書いたの)今何枚目?
A.シラネーヨ。

夏頃だったかな。僕はとある精神疾患で心療内科に通って長いのですが、普通に通院している病院ある?みたいな質問に律儀にイエスと答えていたんですけど、それが原因で就活あっせん会社に「(心療内科に通院したことがある人に)これ以上会社を紹介することはできない」って言われまして。
何かがその時壊れましたね。あ、ダメなんだ。通院していても「就活は問題なし」と医者に言われた人間でも、社会は自分を必要としていない。むしろリスクでしかないって。

そりゃ、企業の側からしたら病気の人間より健康な人を雇いたいでしょうよ。わかりますよ。でも、病院に行っていない(行かない)メンタル不安定な人もいるじゃないですか。正直それで結構大変な思いをした経験もありまして。なんでその人はオッケーで内定も貰えて、僕はダメなんだと。

秋頃から卒論準備とか資格勉強とかが修羅場を迎えてきて、人間関係でもうまくいかないことが発生し(それもよりにもよって内定が出ている人と)、完全にメンタルはズタボロ。

そんなある日の早朝、目を覚ました(早朝の覚醒も当たり前になっていた)僕は、何も考えずにふらっと散歩に出かけました。近所に誰の目にも入らない、特急も通る線路に柵を越えれば入れるところがあったので、そこに向かいました。誰も近くを通りません。線路が直線なので電車のスピードが結構出ます。柵を越えて飛び出せば、まあ十中八九『先に』いけるでしょう。

しばらく柵に腕と顎をのせて、何も考えないでいました。本当に何も考えず、ただ『先に』いくタイミングだけ図っていました。
止める人なんて誰もいないんです。だって人通らないし。

でも、結局『先に』いくのはやめました。その日はちょうど、好きな授業があって、それに加え放課後に部活動の部屋に行けば人が集まっているだろう、と思ったからです。

最後に自分をとどめてくれるのは、自分しかいない。でも、自分は確かにすぐ側にいつも居てくれるんです。まあ、その時の内心の記録は今読み返しても結構グロテスクなんですけどね。

さて、少し話が逸れたので元に戻します。その件で命は確かに救われましたが就活まで救われるなんて都合のいい話は進●ゼミの漫画の中とかにしかないので、僕の就活は3月の卒業式を迎えても終わりませんでした。
就活後期の自分なんて(当時の自分には客観的に見る余裕なんてなかったのでわかりませんが)ゾンビだったでしょうね。スーツも絶対ヨレていたでしょうし。目も死んでたと思います。
後から考えるとスーツ全部クリーニングに出してぼっち旅行でもすれば良かったかな、とは思います。そのくらい何をやってもだめで、どんなにアドバイスを聞いて生かして振舞ってもだめでした。

今でも感覚を思い出します。卒業式の後に、確定した進路を書く紙を渡されて、そこに『未定』と書いた時の気持ちを。僕はだめで劣っている人間なのだ、と文字で書いて認めなければならない時の気持ちを。

そして4月の頭に漸く掴み取った内定先を、2か月もたずに抑うつを発症して医者から診断書→休職→依願退職コンボをキメた時の気持ちを。

就活なんて上手くいかなかった。
でも、それでも僕は生きています。

確かに就活はだめでした。でも、また再スタートを切った後に、違う世界を知りました。最初は(体調面も考慮して)週5ではない、それに正社員でもない場所からのリスタート。
気づいたら、そこで2か月どころではない、2年以上も続けて今に至ります。最近は週5で入れるようになりました。
それに医者にも、
「最近明るくなったね」と言われるようになりました。
収入は少ないし、新卒カードはない。健康診断も受けられてないけれど。

でも、僕は生きています。

今なら言えます。就活に適応できなかっただけだと。
今なら言えます。就活に適応できなくても、人間として劣っている、だめなヤツではないと。
それでもアンタはその後を見つけられただろ恵まれているから、と言われてしまったら御仕舞いですが……

でも、最後に自分を思い留まらせてくれるのは自分でしかないんです。
だから、自分はだめじゃないって思ったっていいじゃないですか。
自分を許したっていいじゃないですか。
甘やかしたっていいじゃないですか……

今の僕にはささやかな夢があります。
「仕事とか何やってんのかいまいちよくわからないけど、たまにフラっと現れてメシを奢ってくれるおじさん」になることです。
そのために、いま生き続けています。
夢を叶える前に、自分に殺されないように。


とにかく言いたかったこととしましては。

・就活に適応できなかったとしてもだめな人間にイコールで結ばれる訳じゃない。
・こんなんだけど生きてる人間もいる。
・生きていこう。やっていこう。自分を許しながら。

こんなところでしょうか。
社会の中ではありふれた体験を吐き出すように書き連ねたものですが、少しでも『雨やどり』ができるような、そんな文章になっていたら、それより嬉しいことはありません。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

生きていきましょう。やっていきましょう。

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