見出し画像

大学にふらっと入れる世界に生きたい。

大学にふと、行きたくなる時がある。

それはただ単に現実の仕事に疲れて空想の学び舎に帰りたがっている現実逃避だ、と言われれば「確かにそれもあるかもしれない」と答える他ない。
でも大学に行って卒業し、社会をある程度知って。その時間を経ているからこそ感じれる大学の良さがあり。そしてそれを甘受するには18歳から22歳という年齢は若すぎた、いや、幼すぎた、と思うことも確かにあるのだ。

大学の教授は、生徒に質問されることが好きな人が多かったように思う。
もちろん個人的な観測の範疇に過ぎないが。
そりゃあそうだ。大学教授という存在は本質的には教育者ではなく、その分野を極めたざっくばらんに言ってしまえば「おたく」の方々なのだから。

「おたく」の方々は(もちろん僕も同じなのだけど)自分の分野に興味を持ち、質問をしてくる人が基本的に大好きだ。まあ、よっぽど失礼な物言いになったり言葉選びが悪かったら別だけれど……

僕も授業終わりに教授に質問をしたことがある。気難しいように感じていた教授だったが、ただの素朴な質問で表情を和らげ、マシンガントーク……まではいかずとも内容の詰まった答えを返してくれた。「ああ、生徒が好きなんだなぁ」と率直な感想を抱いたことを覚えている。

けれど。その質問をするのに躊躇したことも覚えている。
相手は大学の教授だ。「こんなこともわからんのか」と突っぱねられたらどうしよう。高校の時に相対していた「先生」と、「教授」との迫力の違いは、当時の自分にとってそれなりに大きなハードルとして鎮座していたのだ。

いまになればもう、それほど怯える必要はないとわかる。
それに、社会人になって僕らが諦めたものを、彼らはまだ諦めずに邁進している存在なのではないか、と思うのだ。

だからこそ、もっと語り合ってみたいと思った。教授が見ている世界の片鱗を覗いてみたいと思った。深く関わり合ってみたかった。無論それは、主に資金面で叶わないことなのだけれど。

大学にふと行きたくなる時。
それは現実逃避が必要な精神状態であることの証左なのかもしれない。
でも、もっと自分への、社会への、人間への考えを深めていきたい、そんな能動的な探求心の現れなのかもしれない、と僕は思う。

だから大学が就活予備校になっていく風潮には断固反対だ。
むしろ、社会人になってからふと行きたくなった時に行ける、そんなもっと社会的にも自由な場所や立場で在ってほしいと願っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?