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しゅやく

春が近づいてきました。
桜並木をカブで突っ切るのが楽しい。指導員Dです。

『悪口の中においては、常に言われている方が主役であり、言っている方が脇役であるという宿命がある。』


これは故寺山修司さんの言葉です。
悪口のみならず、何か自分ではどうにもならない外部の状態に対して(例えばあの人がいやだ、とか、どんなふうに自分が見られているのか気になるとか)悶々とこころを奪われるのは、とても苦しいことです。
そんな時、じぶんの心の主役が、自分ではなくなってしまっているな…と思います。

「ぼくが望むのは、『みんな』が幸せになることじゃない。『各々』が幸せになることなんだ」
(「うたかたの日々」より)


これはボリス・ヴィアンの小説の一説です。
『みんな』を対象にすると、自分ではどうにもならない状況に陥ることしばしばです。『みんな』ってあまりにも巨大ですからね。「銀河鉄道の夜」でジョバンニとカムパネルラも悩んでましたね。

「みんなの本当の幸いってなんだろう?」
「ぼくわからない」
「ぼくも」
(「銀河鉄道の夜」より)

ですが。『各々』ではどうでしょう。『各々』は私であり、あなたのことです。
『みんなの幸せ』では、はかり知れない巨大な不特定多数や、こころの見えない他人が対象ですが、『各々の幸せ』と考えると、自然に個性の尊重や、強みの着目や、世界観の明晰化につながる気がします。

なにより、他人や周囲ではなく、自分を主体にイメージできたとき、その人生の主役は、あなたになっていると思うのです。

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