ラフターナイト決勝を終えて

お笑いの賞レース、「マイナビ ラフターナイト」。
昨日はその第9回チャンピオンLIVE、つまり決勝戦に出場した。

1年かけて出揃った12組の月間チャンピオンで優勝を競った。

絶対に優勝したかった。
が、負けてしまった。

マスメディア系の賞レースで初めて決勝に進めたので、今日を芸人人生および人生の、勝つ日にするつもりだった。

全然、手に入れられてない。

見てくれてる人や、芸人仲間・スタッフ、応援してくれる友達がいて、幸せをたくさん受け取っているのは忘れちゃいけない。
でも、自分の力では何も手に入れられてない。

落研で落語をやりはじめたときに植え付けられた「ネタを考えて、やって、笑いをとる」ことの気持ちよさ。これの高みに行きたい。


ぼくは周りの芸人に結構コンプレックスを持っている。

みんな好きで、一緒にいられて光栄だと思う。と同時に、みんな芸人としてエリートに見えて、自分とはちがうなと思う。
それもあって、ここで優勝という事実を手に入れて劣等感をなくしたかった。

決勝の司会が山里さんなのもあった。
2004年のM-1の南海キャンディーズさんは多くの人に衝撃を与えたけど、当時中1のぼくにも相当な衝撃で。
ぼくに影響を与えた芸人さんの中で、山里さんはかなりの率を占めている自覚がある。

これをあんまり言わないのは、山里さんに影響受けてますと言うには全然、山里さんファンならこれは見てなきゃってものを追えてないから。
大学後半〜ニート期の間はラジオをたくさん聴いてたので「山里亮太の不毛な議論」もよく聴いてたけど、「たりないふたり」未履修。それで「山里さんに影響を受けて〜」って表で言うのは憚られる。

でも、ラフターナイト決勝進出が決まったときから、「山里さんにお会いする」「山里さんの前でネタをやるんだ」とゾクゾクしていた。

昨日、ネタをやったあとも「結構いけたぞ……山里さんの前でチャンピオンになりたい」と思って舞台袖に戻った。

あと、バキ童chで多くの人に知ってもらったというアドバンテージ。
「YouTuber」と認識されるみたいな面よりも、存在を知ってもらえて、活動を見てもらえてるアドバンテージが圧倒的に大きい。
あとは賞レースで勝って、YouTube以外のとこにも入っていけばいい。


だから、優勝者発表で金魚番長の名前が呼ばれたときから、「あぁ……あぁ……」だった。

(金魚番長おめでとう!)

優勝できなかったと分かってからも、まだ優勝者インタビューやら色々で舞台に立ってる時間があったんだけど、ふらふらだった。
ただ、きしたかの高野さんがずっと平場で無双してて笑っちゃった。悔しい最中なのに、面白いもんは笑っちゃう。
そして高野さんも悔しい最中なのにすごいなと思って、そこも空しかった。


家に帰ってから、と思ったけど、楽屋に戻ったらもう悔しさが抑えられなかった。

そんな様子を見てか、アキトさんがご飯に誘ってくれた。
キャプテンバイソンの方の高野くんと、ぼくとアキトさんと、道中でまた会ったサツマカワさんと金澤TKCファクトリーさんでご飯を食べた。

金澤さん「おれもウケてたよな?……おれもウケてたよな?」
高野くん「はい」

一回無視されてた。


家に帰ってから、ちょっとキモシェアハウスに用事があって、自転車を走らせてキモシェに行った。

キモシェには木田さんがいて「今日ラフターナイトでしたよね?疲れたでしょう」と労ってくれた。

木田さんは「ぼくが龍が如くやるとこ見ます?」と言って、龍が如くをやり始めた。

ゲームの中で、一人の男が主人公の前に赤い虎のキーホルダーを差し出した。
主人公が「何だこれは?」って聞いたら、男が「見ての通り、赤い虎です」って答えた。
主人公は「どういう意味か聞いてんだよ!」って怒ってた。

それを見ながら木田さんはご飯を2つ食べてた。

ご飯を2つも食べた木田さんは「食べ過ぎて、なんか蕁麻疹出てきた!たまにあるんです!」と言って、服をめくったら赤い点が結構あった。

「お尻にもできてる!どうなってますか?見て!」と言って、パンツを下ろしてお尻を突き出してきた。

こいつ何なんだと思って、5分ぐらい笑いが止まらなかった。

最終的に、木田さんが自分で確認する用にお尻の写真を撮らされて帰った。
まだキモいよ、あの家。

サポートは、上空から怪鳥が持っていかなければ、土岡に届きます。