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予兆のあとで

ちょっと仕事でいやなことがあって、凹んでいたんですが、凹んでるのって意味ないよなあと思って、noteに書いてみることにしました。
特に特定の誰かが、悪いわけではなし。まあしゃーなしやでって話なのですが......。

長く担当してきた仕事が、また一つ去っていきました。もともと問題は抱えていて、増改築やその場しのぎを繰り返したがために、役目を終えたと判断されたようです。
当然、問題には自分でも気づいていて、手を打つべくいろんなタイミングで提案やら示唆やらしていたつもりだったのですが、力不足とご縁がなかったのと中間くらいな感じでしょうか。また落ち着いたら分析してみたい。

予兆はだいぶ前からあったので、意外と長く続いたなあとも思えます。そうやって冷静に判断できるくらいには、成長したのかもしれません。

仕事に限らず、何か悪いことが起きるときは、その予兆を過ぎてひと段落したあとでやってくることが多いような気がします。
その猶予が何のためのものなのかはわからないけれど、確実に少しのバッファはあるというのが、僕の少ない経験則からは言えそうです。与えられた猶予の間に次の種を蒔いておいて、ダメージを受けないようにするのが理想ですが、現実はそんなにうまくいかないことが多い。

ただ、この、何かを失った時に感じる喪失感と物理的なダメージは着実に僕らを成長させ、良い方向にドライブさせてくれる。そう感じます。
思えば、大きなチャンスはいつも大きなピンチのあとに訪れていた気がします。なんだか少年漫画の主人公みたいだ。
そう考えると悪くない人生を送らせてもらっているのかもしれません。

チャンスをくれた方や、そのきっかけとなった方たちには改めて感謝です。こういう気持ちになることができるのも良い側面かもしれない。

それともうひとつ ーーーこれは初めて浮かんできた感情なのですがーーー
考えていることがあります。

なにか、うまくいかなかったり、問題が生じかけたとき、予兆を感じるときに思い切って引いてみるというのも、一つの手なのかもしれません。やるべきでないことには、しっかりNOをしめし、その場しのぎをしないことが結局相手のためになるのではないかと。

「相手ありき」と思いすぎている部分があるので、長い目でみてどうなのかということをしっかり、パートナーとしていう覚悟を持つことが求められてきているのだと思います。

そんなの当たり前じゃないかという声が聞こえてきそうな気もします。精進しなくては。

凹むのはこの文章までにして、この喪失感をしっかり味わいたいと思います。

そしてまたここから、新しい一歩を踏み出していこうと思います。あ、一文字か。



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