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自分のことはわからない

J-POPの歌詞に、「自分のことは自分では見られない」「君の瞳に映る自分を見て自分を知る」的なものをよく見た気がする。

若干の小っ恥ずかしさはあるものの、その意図するところには概ね同意する。僕は仕事柄テープ起こしをすることがあるが、自分の声を聞くと毎回ゾッとする。それと同じようにふとした瞬間に窓や鏡に映るおっさんをみて、びっくりすることもある。

自分のことは自分ではわからない。だから、人の目を通して自分を知る必要がある。そのために生きているような側面もあるだろう。

ところで、これは何かと似ていないだろうか。

もったいぶるほどの内容ではないので、ここはさっといくが、そう、匂いである。

自分の発する匂いは自分ではわからない。考えてみるとこれはとても怖いことである。

例えば、同僚や友達なんかとパクチーの話で盛り上がったとしよう。

友「あの匂いがダメなんだよねー」

オ「いうほど匂いする?」

友「カメムシと同じにおいしない?」

オ「ええ。そんなに?」

パクチーについて話したことがある人なら、一度くらいはこの流れを経験したことがあると思う。

パクチーイケる人は戦慄して欲しいが、カメムシの匂いのするものを食える側の人間ということになる。

これは飛躍させると

パクチーの匂いに鈍感

パクチー臭がしても気づかない

パクチー的な匂いを発していても気づかない

体臭やばい

ということになりますまいか。

さらにノイローゼになってみると、友人が僕の体臭に気づかせるためにカメムシ、もといパクチーの話をしたのかもしれない。

そうだったら気づかなくてすまん。

人の鼻を通して自分の匂いを知るということはとても重要なことであろう。

願はくは私の周囲の人よ、僕が臭かったら言ってくれ

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