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ハンガーストライキ

先日、駅前でこんな場面に遭遇した。

ハンガーが打ち捨てられている光景である。

これをみて反射的に思ったのが、

・ハンガーが落ちている

・ハンガーが役目を果たしていない

・ハンガーがストライキしているな

・これが本当のハンガーストライキ............。

という3点リーダーを多用しないと目も当てられないようなつまらない思いつきをしてしまい、(脳内で)苦笑いするはめになった。

余談だが僕はある時点からつまらない思いつきとダジャレは心の中に止めておくことに決めて、実行している。この週間を身につけたことによって、かなり救われたと思う。余談終わり

ところでなぜこんなつまらない思いつきをしてしまったかというと、以下のニュースに触れていたからだと思う。

辺野古の埋め立ての賛否を問う県民投票に関するニュースで、実施を求める会の代表が実施しない見通しの5つの自治体に抗議するため、15日朝からハンガーストライキを始めたとのこと。

結局、ドクターストップで終了となったが、物議を醸した。新手のテロだなんていう指摘もあった。

僕としてはテロとは思わない(そんなわけがない)が、あまり有効な方法ではないよなあと思っていた。なんだか遠い昔の方法論のような気がした。

ハンガーストライキについてウィキペディアで調べてみると

・死を決した示威行動の例

・短期間のパフォーマンス的示威行動の例

ドクターストップということは後者になるかと思う。割に冷ややかな目で見ていたことを正直に告白する。

1日の断食もあんまりやりたくないなと思うくらいの体たらくな自分なのに、人のことはなんとでも言えるものである。

そんなことをぼんやりと考えていたときに、こんな内容のツイートを目にした。

なるほどなあと揺らいできたと自分を恥じつつ、ハンストでツイート検索してみると、右と左に別れて喧々諤々な感じであった。

どちらの側に立っているのかわからないし、正直に言ってどちらの側にも立ちたくはないが、「短期間のパフォーマンス的示威行動の例」としては耳目を集めることにも成功したのだし、一定の成果は出たのではないかと思う。

だいぶずるい感じもするがこの件に関しての是非は保留にさせていただきたい。

ところで本題とはずれるがちょっと引っかかっていることがある。さきほど自分で「遠い昔の方法論」と書いたが、では今ならどんな方法論があるだろうか。

件の彼も僕が思いつくような方法論は検討した上での行為であると思うので、じつのところ方法論に差はないのだろう。

では、どのような発信であれば人はその内容を信じるかということに焦点が当たりそうだ。

「何をいうかよりも、誰が言うか」

身も蓋もないがそういうことなのだろう。考えてみればこれは怖い話で、そのときどれだけ正しい主張をしても、普段からの「人となり」や「表現の質」それらを総合したその人への「信頼感」や期待感がなければ、だれも耳など貸してくれないのだ。

僕はここで小さく告白するが、「ウケたい」「発想力豊か」「クリエイティブ」あたりの評価を得たいと言う気持ちが大きくある。ここでの発信でその下地を情勢していきたいという下心もある。

駅に打ち捨てられたハンガーをみてハンガーのストライキだなと苦笑いしているようでは、その道のりは遠そうである............。






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