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書くことで得られるもの

 文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みに過ぎないからだ   (風の歌を聴け 村上春樹)

 いきなり引用してしまったが、最近毎日noteを書いていて、思考が整理されているというか、解きほぐされているような感覚がある。
 これってどこかで読んだことあるなあと思って、必死こいて思い出してみたら、この文章に突き当たった。
 思考が解きほぐされることによって、そこはかとなく前向きになっている気がするので不思議である。これこそ自己療法への「試み」ということなのかもしれない。

 ミッションを策定中だという話を、先日ここに書いたのだが、その効能については実は思うところがあった。
  さんざん企業や学術機関等のコピーやらコンセプトやらスローガンを書いてきてなんだが、ともするとこれらの「言葉」は知らず知らずのうちにその対象を縛ってしまったり、硬直させてしまうのではないか。少しそういう懸念を持っていたのだ。

 今、自社のWEBサイトに掲げている「言葉」にはその辺の迷いが感じられる。

 Listening to the voices of billion.

私たちの仕事は、誰かの想いを、わかりやすく整えて伝えることです。
そのために必要なのは、(できるだけ)多くの声に耳を傾けることだと思っています。
まだ誰もみたことないものを、創り出すことはできないかもしれない。
けれど
たくさん聞いて
深く考えて、
知恵を絞って、
手を動かして、
なにか「かたち」にすることで役に立つことはできる。
そう考えています。

 我ながら、何をやるのか / やりたいのか、いまいち伝わってきませんね(笑)。やることを規定したくないという思いが透けてみえるのと、会社の公式ページなので、いつまでも使えるものにしなければいけないという気持ちもあった。よって口当たりは良いけれど、茫漠としてものになってしまっている。

 ところで先日、以下の記事が話題になっていた。

 (こちらもnoteですね。)

 言葉によって、縛られるのだとすれば、この記事にある創造性の低下につながるのではないかという気がしていたのだ。


 しかし、自社のミッション策定のために、自分以外の人間(僕の場合は弊社のコピーライター noteもやってます。)と話をしながら、あーでもない、こーでもないと頭をひねって、「言葉化」していく作業は実は管理とは対局にあるようである。
 この作業を通じて、自分のやるべきことや、やりたいこと、目的意識がはっきりする。そして、それを共有し、表明することで、従業員もやるべきことがクリアになっていくようである。
 

  書いてかたちにすることは、思った以上の効果がある。今までやってきたことは間違いではないと、確信できた。

そうそう、「風の歌を聴け」にはこんな文章もある。

 うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない

 自己の救済はクリアな思考によってもたらされるのかもしれない。

 

 

ことばを軸にしたデザイン会社を経営 / 仕事と生活とコンテンツ制作と趣味をごちゃまぜにしていきたい /アイデア・企画 / コピーライティング /ネーミング / ライティング /(心の)大喜利 / お仕事のお問い合わせはお気軽に。https://a-brain.net/