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天然のパンチライン

仕事柄、インタビューをすることがよくある。これは何かを調査したり、テストしたりするためではなく、取材記事を書くためのものである。

有名人ではない、所謂、市井の方々にインタビューをすることも多い。

彼らの多くは—一部のプレゼンテーションのプロ以外は—話すことに慣れていない場合もある。その中にはすごく緊張されている方もいたりする。それも無理はないだろう。日常的にインタビューを受ける人など、そう多くはないはずだ。

しかし、彼らの発する天然のパンチラインとでも言おうか、喜びや確信や実体験に裏打ちされた言葉には、言葉のプロとは違った「固有の強さ」がある。

そのパンチラインのいくつかは、僕の中に残り、少なからず影響を受けている。

その言葉を受け取ったときには分からなかった思いが、後になってしみじみと入ってくるなんてこともある。

ある時、「 好きなことを仕事にっていうけれど、追求してみないと、好きかどうかなんてわからない」という話をしてもらったことがある。

そのときには、恥ずかしながら「そういうものかな」くらいに思っていた。今はもう少し理解が深まったと思う。

追求したと言えるほど、経験と研鑽を重ねなければ「好き」などということは判断できないということで、それは即ち、他の可能性を思い切って捨てて取り組む必要があるのだという「覚悟」の話であったのだ。

翻って、僕もわが社も新しいことを始めようとしている。今はその「覚悟」が求められていると言っていいはずだ。

話をインタビューに戻そう。

このときの解釈が変わった—あるいは育った—経験から、取材者としては解釈をできるだけ入れず、話されたことをそのまま伝えることを、徹底していきたい思う。

無論、文書には解釈が入る。だが、できるだけその余地を減らすことで、読む人の感度や環境によって読み方が変わるような、あたかもその人が目の前で話しているような文章を目指したい。 

それが取材者の心得なのではないか。

こんな幸せな仕事もないなと思う。僕はインタビューが好きだ。覚悟を持って好きと言えるように成長していきたい。





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