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やらざる得ないでもいいじゃない

コピーライティング的なことをやり始めてから、どれくらい経つだろうかとつらつらと思い出してみたのだけれど、初めてとあるポスターに採用されたのが、もう7年前(!)なので、キャリア7年ということになる。

とは言っても、自分のことをコピーライターだと思ったことはなくて、「なにか文章が必要であればなんでも書くよ」というスタンスでやってきた。

なにより大事なのは、コピーという目に見えるアウトプットよりも、それまでに至る過程で理論がしっかり通っているかどうかだと思っているので、コピーというのはかざりというか交換可能だと思ってきたし。今も思っている。キャッチを100本とか絶対できない。

コピーライティングで稼ぐということに懐疑的だったのもあって、企画・制作やってますと言ってきたが、思えば僕はずっと何かを書いている。しかもあんまりそれが苦にならない。

もしかして、それが100本書くということに当たるのかな?と都合よく解釈してみたが、やっぱりそれはちょっと違うよなあと思う。

どちらかというと、やらざる得ないからやってきたという感じがある。

もっと年若く、社会に出る前にはちょっとコピーライターっていいなと思っていた。

短い文章を書いて、お金がもらえるなんて楽そうだし、最高じゃないか。そう思っていなかったといえば、嘘になる。
ちょっとやってみると、めちゃくちゃ理詰めで手間もかかるし、そりゃお金ももらえるだろうってことになるわけだが、そういう不真面目な人がコピーライターを志望するのだと思っていたきらいがある。

というか広告とかクリエイティブを目指す人ってそういうやつなんじゃないかと、この前まで思っていた。

が、純真にコピーライターになりたい!という思いを持っている弊社淡水や、twitterでみかける似たような領域の人たちはなんだか最初から真面目に取り組んでおられるようであった。

あるいは、歳月を経てそうなっていったのかもしれないが、なんというか姿勢の部分で違うものがあるよなあと思う

見習っていかなければと思うと同時に、彼らのようにはなれないだろうなあという思いもある。

翻って僕や僕のようなタイプの強みがあるかと考えると、「やらなければいけない」という思いが強いことだと思う。
やらなければいけないことは、即ち人に頼まれたことや、見過ごせないことや、生活に関わることだろう。

それを「仕事」と呼んでも差し支えないはずだ。

僕はその基準を上げていくことの方が向いているのかもれしれない。
基準は、今までに接してきたクライアントや代理店や上司、先輩に上げてもらったので、本当に感謝である。ミルキー並みの甘い考えかたも、接するひとや環境で大きくかわるのだ。サンプルは僕である。

願わくは、それに加えて「好き」なことも、ちょっとずつ混ぜていけるといいなと思う


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