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きりがない、の「きり」の見つけ方

企画や言葉まわりの仕事してきたが、これらを始めた当初はーーつまり、新卒の頃はーーどこまでやれば、「考え抜いた」と言えるのか。仕事のひと段落はどこなのかがわからず、苦しんだ記憶がある。

僕は残業代のつかない、オフオフオフオフホワイト企業にいたので、時間の概念がなかったのと、文学部卒の世間知らずのボン(ボンボンよりまし的なニュアンス)で、考えがミルキーくらい甘かったために「これどこまでやれば終わりなんや・・・」とよく途方にくれたのを覚えている。

請負の仕事なので、締め切りまでというのが正解なのだが、それはそれとして、自分の中で「考え抜いた」という基準がなかったので、眠くなったとかイライラしたとか、面倒くさいとか、二日酔いだとかいう、自分の基準で判断していたように思う。
我ながらなんてダメなやつなんだろうと思うが、世間知らずの新卒学生など、そんなようなものではなかろうか。

いつの頃からか、「どこまでやればいいんや」はなくなっていった。
状況認識が甘かったとか、仕事のクオリティが上がったとか、様々な要因があるのだが、決定的に変わった瞬間があったのを覚えている。割と鮮明に。

広告やことばの仕事をしたとか、志したことのある人なら、多かれ少なかれ糸井重里氏の影響は受けていると思う。僕もその口で、ほぼ日はよく見ているし、本も何冊か読んだ。
本だったのか、ほぼ日の記事だったか定かではないのだが、どこかで「自分の中に張り出しておいて、眺めている」という話を読んだことがある。
御大のことであるから、眺める対象はもちろんコピーや企画のアイデアである。

時間を決めて、要素を洗い出し、かたちにする。それが済んだあとは自分の中にある掲示板のような場所に、壁新聞のように張り出しておく。そこには、いろいろな人が集まって、その張り出されたものについて、あーだこーだと井戸端会議をしている。
たまに自分でもそれを眺めにいって、なかなかいいじゃないかと思ったら完成だというような内容だったと思う。
出展もわかならいし、曖昧な記憶の話で申し訳ないが、内容はだいたい合っているはずだ。

この考え方というか手法に出会って、マネをするようになってから、「どこまでやればいいんや」ということは減っていったと思う。

「考え抜く」というと、なんだか仰々しい。会社勤めの人だったりすると、上司からこんな指示をだされたら、参ってしまうと思う。基準がないし、締め切りまで寝なければいいわけ?なんて絡みたくなってしまう(んなこたないか)かもしれない。
でも自分の中の掲示板にはって、眺めていればいいなら、できそうな気がしないだろうか。少なくとも僕はした。

ちらっと掲示板に目をやって、面白そうだなと思ったら、考え抜いたということにしていい。

そう考えるとちょっと気が楽になる気がしませんか?

消費者の本当のインサイト(欲求)をつかむためにも、この過程は必要なのかもしれない。
壁新聞の前に集まる人が、実際に世間の声に近づけば近づくほど、消費者心理を理解できているということで、また、それを「自分の書いたもの」としてではなく、面白いか判断できるようになれば、人を動かすものを作ることができる。

そんな仮説を持っている。

まだまだ、そのレベルには達していないが、自分の壁新聞が貼ってあっても恥ずかしくはないくらいになってきたと思う。

これが勘違いじゃないといいなと思う、今日この頃である。

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