ムネハルの夏 ー壱ー

ぼくはまったくそんなつもりはなかった。

「みちこちゃんはそんなこというからお母さんが死ぬんや。」

ぼくはその後すぐにみちこちゃんが大泣きし始めて、なにがなんだかわからなくなって、ぼくはいつものようにただ、「わるぎはなかったんです、ごめんなさい。」と佐藤先生に棒読みで謝った。

みちこちゃんのお母さんがその前日に、本当に脳卒中で亡くなっていたということを知ったのは、うちのお母さんが夜、そうめんを茹でながらそう言ったからだった。

「みちこちゃんのお母さん、亡くなったんやで。」

お母さんはぼくの方を見るわけでもなく、ただ、そうめんを茹でながらそう言ったのだ。食べ終わるとすぐにエプロンを外して、お化粧をして、またどこかへ出かけてしまった。

ぼくはそのころから暗くなった。一二歳だった。早く次の年になれ、と思った。なんとなく大変そうな中学校に今すぐ行きたかったわけではなかったけど、とにかく、いまを変えたかった。でも、その年の、ぼくの小学校六年の夏は、ものすご〜く長く感じた。

「ムネハル、はよせんか。」

日曜日、いつもの西武ライオンズの野球帽を被ってお父さんがそう言った。そして、ぼくにも同じ西武ライオンズの野球帽を被せて、釣り道具をもたせた。ぼくは西武ライオンズがどうとか、読売ジャイアンツがどうとかいうより、野球のこと自体をよく知らなかった。なにがセーフとかアウトとかもよくわからなかったし、何点とって、どっちのチームが勝ったとか、どうでもよかった。そんなこと、たとえ負けたって、想像の中で「あ〜、今日は勝った、よかった」と言っちゃえばいいんじゃんと思ってた。だから、みちこちゃんが泣いても、「わるぎはなかったんです、ごめんなさい」と言えば、次の朝には、もう大丈夫と思ってた。でも、みちこちゃんは違ってた。

ぼくは、みちこちゃんに無視された。いつもみたいに、「みちこちゃん、消しゴム貸して」と言っても、知らんぷりされる。

「みちこちゃん、消しゴム貸して」

「みちこちゃん、消しゴム貸して」

「みちこちゃん、消しゴム貸して」

何回言っても、みちこちゃんは何にも言ってくれなかった。泣きそうになったぼくの様子を見かねたのか、隣のさっちゃんが「ムネくん、もう、いいやん。みっちゃん、ムネくんと話したくないんやって」と言った。

ぼくはその時に始めて、みちこちゃんがぼくのことを本気で嫌になったということに気がついた。ぼくは、自分がみちこちゃんに悪いことを言ってしまったということはわかったけど、ぼく自身もなんでそんなことを言ってしまったのかがわからなかったんだ。だって、みちこちゃんのお母さんが脳卒中で亡くなったことなんて、本当に知らなかったんだから。

「ムネくん、なんでそんなこと言ったの?」

だから佐藤先生が何度そうぼくに繰り返し訊いても、ぼくにはわからないとしか言えなくて、その話は先生からお母さんにも知らせられて、ぼくは本当に困ったんだ。

「ムネハル、はよせんか。」

また、お父さんがそう言って、ぼくはやっと靴を履き終わった。これだからヒモ靴はいやなんだ。でもお母さんが「マジックテープは卒業ね。」と一方的にそう決めたから、ぼくは毎日毎日、こうやってストレスを感じなければならない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?