三、

よし、これにしよう、と言って私が取り出したのは妻の弟ーー私の義理の弟ーーがニューヨークから送ってくれたシャツであった。チェック柄の春らしい色合いに私はこれはいいかもしれない、と思った。が、着せてみれば思ったよりも小さくて、息子の動きが鈍い。

では、変えなければならないと、もう一着、同じく義理の弟が送ってくれたTシャツがあったのでそれを取り出した。そこにはNew York City、と書いてある。妻の弟は、数年前からーー繰り返すようだがーーニューヨークに住んでいて、時折、子供のために洋服を送ってくれる。あっちで弟が何をしているかといえば、3-Dプリンターを使った料理を開発するベンチャー企業で仕事をしている、というのだから、アメリカというのは、景気がいいのだろうな、と思う。

果たして、そういうところに金を使う、という価値観を良しとする人達が多い世の中のほうが健全なのか、もしくは、他にもっと他に使うべき場所があるだろう、というような身も蓋もない面白みのないことを言う人間が多い国のほうが正常なのか、私にはわからないが、私はどちらかといえば、やはり、面白みのあることをやろうというという人間を応援する社会の方がいいような気もするが、生まれた時から物にあふれ、最低限の生活をすることに困らなかった私のような人間には、そもそも金の無駄遣い、もしくは有効な使い方、という違いがわからない。

例えば、私は昔から音楽や本にかける金を、昼食を削ってまで作る傾向があったが、それは本当に金がなくて、困っているから、というわけではなく、おそらく自分のどこかにーー結局はただの趣味に違いないのだがーー他の何をも差し置いて芸術に優先順を持っていく人間に憧れがあった、だけの話であり、それ以上でもそれ以下でもない。

まあ、極論を言えば、自分が稼いだ金であるのだから、誰が何に使おうがそんなことは他人がつべこべ言うことではないと思ってもいるのだが、金というものは社会の中で巡り巡ってーーどこかで聞いた話だとーー使うべき人のところにたどり着くらしいので、体重が標準よりも痩せ、読書が頭にも入ってこないほど栄養失調気味の学生だった私が、たとえ、完璧な栄養素を補給したとしても読めたものではないジャン=ポール・サルトルのような著作を読むということがどれだけ不可能に近い事であったかは、しかしというか、やはりというか、考えることができなかった。

十分な栄養もいっていないし、寝る間を惜しんで知識を詰め込むためだけのために、それらの著作とにらめっこする日々が続くので、頭のシワが増えるどころかすり減って、最終的にはこのような人間が出来上がったのである。

やはり、私も長生きをして、将来のどこかで、妻の弟のような技術もあり野心もあり行動力もある人間が、夢と遊びのある資本家に支えられ、ニューヨークでいずれ開発するであろう人工知能を、私は個人的にオーダーメードして、脳に埋め込んでもらってから、ジャン=ポール・サルトルの読めるようになれたらいいかなと思いながら、義理の弟のTシャツを元にしまった。

私はこう見えてもプライドの高く、競争心のある男であるから、妻の弟にもらった服を子供に着せて喜ぶような負け犬類の父親ではない。ここはやはり、父として、自分の選んだ服を子供に着せて表を堂々と歩くべきなのだ。

そう思い、先月、アウトレットセールにて買った冬物のつなぎを息子に着せてみたところ、やはり暑いのだろう、息子は不快な顔をして私をにらみつけた。私は怖くなって、謝り、もう一度タンスに戻った。

そして今度は、妻の母の買ってくれたワニ柄のTシャツを選んだ。ワニ柄というのは珍しいもので、ーーちろん子供用にデフォルメされたかわいいものなのだがーーワニの模様がパターン化され並んでいて、私にはワニに見えず、実はつい最近まで私はそれをトランペット柄と思っていた、ということを妻に伝えると、彼女は、

「あなた馬鹿じゃないの?」

と言い、それで私は激しく傷ついたのであった。

そういう出来事があったため、やはりワニもタンスにしまい、結局は、その下に埋もれていた私の姉が送ってくれたユニクロの、可もなく不可もなしといった風の青と白のボーダー柄のつなぎを手にとった。

確かにこれなら息子よりワンサイズ大きめで、多少の余裕もあり、息子も動きやすいだろう、と確信し、私はそれを着せようと思ったが、なんとなくやめた。

理由は、私と姉の関係性にあった。姉は私が小さいときから、下の長男として可愛がられていた私に嫉妬心を抱いていて、姉は私に対し、常になんとなくおもしろくないような表情をして、一方的な競争心をもってして、私がすることなすこと気に食わないような雰囲気を出して、私が少しでも失敗をすれば、ここぞと言わんばかりに母親にそれを誇張して報告するのであった。

例えば、私たちがいとこのこずえちゃんと市民プールに行った時、私は、浮き輪に乗ってプカプカ浮かぶ当時三歳位だったこずえちゃんの顔に水をかけて遊んでいた。家に帰るなり姉は、私がこずえちゃんを溺れさせようとした、などと母に言った。

私は、そんなつもりはなかった、と弁明したのだが、姉は途中から泣きながら訴え始めたので、母もそれを信じてしまい、私は裏山に連れて行かれ、そこでイノシシに追われながら一夜を過ごす羽目となったのである。

私は、純粋に、ただ単に、こずえちゃんの水をかけられて息ができず苦しそうな真っ赤になった顔が面白くて、可愛くて、その様子を見続けるために少ししつこいくらいに水かけを繰り返してしまっただけなのであった。

そのような純真とも言える、ときには残酷だとしても、少年の心を踏みにじった姉の罪は重い。ユニクロのつなぎを何着か送ってきたぐらいでその罪が消えるとは、いちどの罪で地獄に落ちることを教えられる私たちのような国の人間には許せるものではないだろう。

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