一、

 タッペイさんがロンドンから戻ってきて英会話教室を開くとは、あのタッペイさんを知っている僕からすれば想像できることではなかったが、しかし同時によくよく考えてみれば、あのタッペイさんならありえることかもしれないと思った。

 もとを辿ればタッペイさんとは、僕が大学一年のときにはいったテニスサークルで出会ったはずだが、タッペイさんがテニスをしている姿が全く僕の記憶にないということは、タッペイさんがそもそもあのテニスサークルに所属していたのかどうかさえあやしいということになる。

 とある事件をきっかけにというわけでもなんでもなく、僕とひとつ年上のタッペイさんはただなんとなく親しくなり、毎晩のように歩いて五分の距離にあった互いのアパートを行き来しては安酒を飲み将来を語った。とはいってもそれはタッペイさんから僕の方へという常に一方的なものであったが、当時から話をすることがあまり得意ではなかった僕にとっては、それはそれでいやな立場ではなくて、その日もコンビニで買って来た発泡酒の缶を次から次に開けながら六畳一間の僕の部屋で、隣の女子大生にまた聞こえているんだんろうな、などと心配する僕の心情も関係なく、声を荒げて話をするタッペイさんのことを、半ば諦めながらただなんとなくボンヤリと聞いていた。

「この前さ、大学でおもしろいヤツにあったんだよ。おもしろいというよりはちょっとヘンなヤツでさ、ハッパ吸いながら中古車販売のカタログでオナニーするっていうんだよ。オレさ、はじめそいつのいっている意味がぜんぜんわかんなくてさ、中古車販売のカタログには、たぶんエロいグラビアかなにかが載ってんのかと思ったよ。でもそいつはさ、『カーを見ながらだよ』なんていうんだよ。それでオレさ、そっか、『カー』というのは海外のポルノ女優か何かなんだな、って思ってさ。最終的にそいつが、『自動車の写真を見ながらマスターベーションしてる』って、ちゃんと説明してくれるまではわかんなかったよな。おい、トモアキ? オマエ俺の話ちゃんと聞いてる? おい、オマエさ。まさかオマエは車でヌイたりしてないよな?」

 訊かれたぼくの表情はおそらく、タッペイさんがそいつから車でオナニーをしているというその話を聞いた時とだいたい同じようなものであったにちがいない。

「な? な? わかるだろ? 誰だってポカンとしちゃうよな。でもさ、東京にはやっぱりヘンなヤツって多いよな。東京には全国からヘンなヤツがほんといっぱい集まるんだよ。ま、ここは埼玉だけどさ」

 あぐらを組んだ足先を見つめながら、何故か寂しそうにそう言ってタッペイさんは目の前のマイルドセブンを掴んだ。そしていつものように自分のジッポライターではなく、僕の百均ライターを手にとってタバコに火をつけた。ゆっくりと一服してからタバコを左指に持ち替え、右手で発泡酒の缶を手に取りスナップを効かせてぐいと飲み干した。そしてまた話を始めた。

「それでそいつ、リュウっていうんだけどさ、大学でハッパ売って生活してんだって。リュウはさ、『ハッパはナチュラルだから健康にいい』とかいってんだけど、ほんとかな? 健康にいいとか言われてもオレはちょっとためらっちゃうぜ。だってリスクがでかすぎんだろ? もし捕まったりしたらどうすんだよ。退学だけじゃすまないぜ。で、オレがそういう感じのビビリなこと言ってたらさ、リュウがさ『じゃあ、ぜったいに捕まんないやつがあるから大丈夫』とか言うんだよ。そんなもんあんのかよ、ってオレが訊いたらさ」

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