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LOCAL to WORLDFAMOUS Vol.3

2001年の12月。冬休みに入った僕と同級生のけいちゃんは原付免許を取りに二俣川にある免許センターに来ていた。

試験当日まで「これで一発合格!原付免許」を穴が開くくらい読み倒し、当日は「田村免許教室」にも行き試験に挑んだ。
おかげでマークシート式のテストにもスラスラ答えが出てきた。

試験が終了し、合格者発表まで時間がかかる。
当時はスマートフォンなど無く、待ち時間がすごく長く感じたのを覚えている。

待ちくたびれていたその時、放送が流れ電光掲示板の前に向かう。自分の受験番号と照らし合わせながら掲示板を確認すし、僕とけいちゃんの受験番号があり見事合格する事ができた。

Vol.1でも話したように僕は高校受験のトラウマがあったので受験に受かったかのように喜んだのを今でも覚えている(笑)

無事、原付技能講習を受け免許証を交付した僕達は、動いていない扇風機が付いている相鉄線に揺られ、どんなバイクを買いたいか話しながら海老名で小田急線に乗り換え地元へ着いた。
けいちゃんと別れ、帰り道を歩きながら僕はまだどのバイクをGETするか考えていた。

当時「HONDA ZOOMER」が発売したばっかりで、YAMAHAのBWsを思わせる太いタイヤや、シート下にスケートデッキが詰める画期的なデザインが凄く魅力的で有力候補に上がっていた。

後日親父がいきつけだったバイク屋にバイクを見に行く事になった。
僕の父も相当バイク好きでまだ僕が小さい頃、ホンダの「CB750K1」を自分でレストアしたり、VESPAのスモール100の後ろに乗せてもらい土手沿いを走った記憶が残ってる。

「HONDA」のヨレヨレのキャップを被っており、たえずショートホープを吸っている。吸い終わったらすぐ新しい煙草に火をつけるくらいヘビースモーカーだ。その吸いっぷりは見た目や服装しだいでは職質は免れない。それくらい勢いよく煙を吐き出していたのを覚えている。
「いきつけ」のバイク屋は僕も小さな頃からよく連れてかれていたので、そこのおじさんはいつも独特の雰囲気を醸し出している事も知っていた。

「さいきんどうよー?」だの「まぁまぁだねー」のTHE世間話を軽くすまし、お目当てのZOOMERを見せてもらう。

堂々たる新車の風格!写真で見るより3倍はかっこいい!!もう頭の中はZOOMERを買う事しかなかった!

僕が「これにします!いくらですか?」と聞くとおじさんはこう答えた。

「新車だけどいつも親父さんには世話になってるから混みこみ21万でいいよー!」

!!!!!!!

アルバイトはしていたが月に3万円程しか稼いで無かったので正直買える気がしなかった。

しぶしぶ他のバイクを見ていると、端っこに「10万円」と書かれたバイクが置いてあった。名前は「TLM50」

古いHONDAのトライアルバイクだ。

50ccには見えないサイズ感に僕は一目惚れをした。
僕はZOOMERをではなくTLMを買うことにした。
後日かなりマニアックな車両だと知る。

最高の移動ツールをゲットした僕はアクセルを捻ればどこでも連れて行ってくれるバイクの魅力に引かれていった。「ヨッシーをゲットしたマリオ状態」とはまさにこの事だろう。

友達と意味もなくバイクで出かけたり、暇さえあればスケートスポットを探していた。
そして今まで見たことが無かった新しいスポットや風景をたくさん見つけた。オートバイに出会っていなかったらこの「行動力」は得れなかったと思う。

最初はただの「移動ツール」だったバイクも徐々に自分の色に染めたくなりカスタムを始めた。
でもバイクのカスタムなんかやったこと無いが「とりあえずやってみる精神」は相変わらず好奇心旺盛だった。ざっくりフェンダーをカットしたり、ハンドルを変えてみたり。

なにかとカスタムする事が好きだった。そして出来るだけ「自分で」やる事に達成感を感じていた。

僕の「とりあえずやってみる精神」はとどまることをしらなかった。

そんな高校1年冬の話。

#エッセイ #自伝

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Teppei NASTY Iwabuchi

FGFS(fixed gear freestyle)Pro rider.Skate boarder.1985年産まれ。人生一度きり。やりたい事をやる。Counter Attraction staff.http://counter-attraction.jp
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