続けるという選択の意味。生涯噺家・桂歌丸の生きた時代の記憶。

「人生100年時代」だとか、謳われている。医療や福祉の伸長は、この国の人々の寿命を延ばしてやまない。
ひと昔前の100歳というと、極めて長生きした人の栄誉としてもてはやされたものだけど、もはや年齢が3桁に乗ることは珍しいことではなくなった。

落語家の桂歌丸さんがお亡くなりになられた。81歳だったという。人生100年時代が本当なのだとしたら、いや、そうじゃないとしても、もう少し長く、その勇姿を拝んでいたかったなと思う。
(注:ちなみに日本人男性の平均寿命は2016年時点で80.98歳)

晩年、歌丸氏は数々の病に冒された。体重は、37kgまで落ち込んでいたのだという。鼻にチューブを付けながら高座に上がる様子に心を痛めた人も少なくないだろう。

そこまでして取り組む姿を見て、まさに生涯噺家、本当に落語が好きな方なんだろうな、なんて見受けていた。

でも本当のところはそうじゃなかったらしいと、あるインタビューを観て感じた。

「噺家という職業を選びました。その責任を果たさなきゃいけないじゃないですか」

責任、という言葉は、その字面以上に重たく、そして尊い。伝統芸能たる落語の道に生きた歌丸氏ならではの、プロの噺家としての、そこはかとない「矜持」を感じさせる言葉だった。
その解釈を、できるようで、恥ずかしながらできないままでこの文章を綴っている。

生きる、ということに意味があるという。その一方で、ただ生き続けるだけの行為に意味なんてあるのかな、とも思う。

立ち上げから携わった大長寿番組の後進を育て、古典落語の伝承に携わった歌丸氏。彼は「責任」というかたちをもって、間違いなく自らの人生に自ら生きる意味を付与していたのだ。

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