他人が評価してくれる自分を、もっと信用してみる。

地方創生的なイベントで意気投合した2人と飯に行った。3ヶ月に1度、定期的に集まっている。各々の近況報告をしながら、ちょっとお高い蕎麦屋さんで冷酒片手に肴をつまむ。とてもいい時間だ。1人はデザイナー、1人はコンサルをしている。僕はコピーライターをしている。

宴もたけなわ、仕事の話も白熱した頃、「他人が評価してくれる自分は、自分がこうなりたいと考える自分とは合致しないよね」といった理想と現実の話になった。僕含め、みんな10年以上に渡り、ひとつの仕事をまっとうしている。しかし、その積み上げてきたものは、必ずしも心の底から自分がやりたいことではない。でも、なまじそれで人に評価されたり、喜ばれたりが積み重なったものだから、さらに、評価されるような仕事を頼まれるし、評価されるのは別段悪い気もしないので、それを続けてきた。

「他人から評価される仕事」と「自分がしたい仕事」。どっちを取るのがいいのだろう。

目の前の仕事を一生懸命こなし、その姿勢を見てくれている人がいて、評価してくれる。みんな、それをコツコツ、逃げずにやってきた。その事実に対しては、自分自身を褒めてあげてもいいのではないだろうか。

僕はこれまで、いろんな人(企業)に取材をして、コピーにしたりコンセプトにしたり、記事にしたりしてきた。話を聞くと、他人のいいところはすぐにみつけることができる。話の中でハイライトが自然と見えてくる。文章にして相手に提出すると、「こういうことが言いたかったんです」というお言葉もよくいただく。

他人のことは手に取るようにわかるのに、自分のことは全然わからない。不思議なものだ。いくら客観的になろうとしても、人間、どうしても主観が勝ってしまう。でも、だとしたら、「他人が評価してくれる自分(仕事)」をもっと信じて、身を任せてもいいんじゃないだろうか。だって、他人は意外と自分のことをしっかり正確に見てくれているのだから。流されるのは、自分の思う方向に進まないようで怖いかもしれない。しかし、そもそも自分の進みたい方向ってどこなのだろう。そして、自分が思う方向に歩みを進めた先に、本当に正解が待っているのだろうか。それであれば、他人の評価を信じてたどり着いた先の方が、予想もできない場所だから、面白いかもしれない。

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