好きなツイート{漫画日記(3月第5週)}

オモコロで描いてる漫画家、逆襲さんのツイート

なぜか自分の中ですごくヒットしてしまって声を出して笑ってしまった。好きなツイート歴代ベスト5以内に入るかもしれない。

「ボーイッシュな子もやっぱり女の子なんだな」ってワードも最高だし、iPhoneを通して女の子に想いを馳せるっていうのもポエティックで素敵。

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ダ・ヴィンチ・恐山さんの記事。なるほどなと思った。

読んで少し考えたけど、「発想力」とか「ひらめき」って言葉が「一瞬で何かを思いつくこと」ってイメージを喚起しやすくしてしまっているんじゃないかと思った。

30ページの短編漫画を描くにしても、一瞬で最初から最後まで細部まで込みで思いつくのは不可能だし(長編ならなおさら)、重要なのは「ひらめき(最初のアイディア)をどう研磨していくか」って作業だったりする。「発想力」に対して「熟考力」みたいなものがあるとすれば作品の面白さに関わるのは、「熟考力」の方が大きいことが多いかもしれない(記事内にも書かれていることだけど)。

創作行為って「発想」とか「ひらめき」に重きを置かれがちで、「アイディアが湧かない」を「初期段階で何も思い浮かばない」と理解されやすいのだと思う。

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『ビハインド・ザ・カーブ -地球平面説-』を観た。

地球が平面であるという説を唱えている地球平面説支持者を追ったドキュメンタリー。

個人的には陰謀論ってかなり嫌いで、陰謀論的な話が好きな人って結構いるし、誰かにそういう話されるとゲンナリする。だけど、陰謀論的なものに惹かれる気持ちは分からないではない。

誰でも「本当のことを知りたい」という気持ちはあるだろうし不可解な出来事に遭遇したときに「霊の仕業」とか「背後で何かコントロールしている組織がいる」みたいに考えれば一応は説明がつく。ちゃんと理解しようとすると専門的な知識が必要になったり実証するための実験が必要になったりして面倒が増えるけど「陰謀論」はコンスタントに理解を与えてくれる。あと身も蓋もない事実より「背後で何かがコントロールしている」みたいな話の方が話として面白いという側面もあって陰謀論者からすれば、そういう話の方が魅力的に感じるのだと思う。

とはいえ、この映画に出てくる地球平面説支持者は道具を使って実験して地球平面説を実証しようとする。自分の知ってる陰謀論好きな人たちよりだいぶバイタリティがあってそこは感心してしまった。でも、ジャイロスコープを使って地球の動きを調べたら1時間に15度ずつ地球が傾いてるのが分かってしまい、それは地球が球体である証拠以外の何物でもないんだけど「測り方がおかしかった」と言い出して頑なに認めようとしないあたりは、驚きを通り越して少し笑えた。

「地球平面説支持者」の中でも対立があってドキュメンタリーで取材を受けてる側のパトリシアという女性が、対立側から「CIAの工作員」と批判されて「彼らはいくら証拠を提示しても証拠を捏造しているといって信じてくれない」と嘆いているのはこのドキュメンタリーの中でも一番、印象的だった。普段は自分たちが全く同じ理屈で科学者たちを非難しているのに自分が同じタイプの批判を受けると、それに対して呆れて嘆いている。

物語ならここで「私も彼らと同じことをしていたんだ」と態度を改めるみたいな展開になってもいいけど、そういう自己批判的な視点が全くなく自分の主義主張には全く変化がないままなのが面白い。そういう自己分析力も客観性もないから陰謀論に飛びつくってこともあるだろうし、こういう人間の側面を捉えられるのもドキュメンタリーの良さだと思う。

そもそも、議論や対立って同じルールを共有していないとできない。

「正当性のある証拠がでてきたら認める」「事実誤認や論理的な誤りがあれば認める」みたいな態度を共有していないと、そもそも議論にならない。このドキュメンタリーが「科学者vs地球平面説支持者」みたいな単純な対立構図になっていないのもバランスがいいなと思った。

ラストも皮肉がきいていてすごく良かった。とはいえこのドキュメンタリーに出演している地球平面説支持者は、この作品を観ても態度を変えたりはしないんだろうけど。

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永井均と入不二先生が著者として並んでいたので興味を惹かれて読んでいる。(永井均は敬称略で入不二先生に先生をつけているのは入不二先生からはTwitterでDMを頂いたこともあり、多少なりとも交流が生じたので面識があると判断したため)

永井均は「なぜたくさんの人がいるのに、この人が私なのか?」という、各人にとっての私ではなく、ほかの人間(もの)とはまったく違う在り方をした“この〈私〉”についての問題を論じ続けている。

この問いをきいて真っ先に思い浮かぶ疑問は、永井均が問いたい他の誰でもない“この〈私〉”の問題を僕が理解したとしても、それは僕にとっての“この〈私〉”の問題になってしまう、そうすると永井均が問いたい問題とは別の問題になってしまうのではないだろうかということだ。

永井均の“この〈私〉”の問題を、僕にとっての“この〈私〉”の問題とし理解した途端に、他の誰でもない“この〈私〉”の特殊性を論じたはずの問いが、誰にでも当てはまる“この〈私〉”を論じた一般化された問いになってしまう。もしくは永井均にとっての“この〈私〉”の問いと、僕にとっての“この〈私〉”の問題は違うことを問うていないといけないことになる。ということは「この問いは原理的に他の人に理解させることが不可能な問いなのではないか?」という疑問も浮かんでくる。

この本は冒頭から、その疑問についても考察されていてとても面白い。そして、やはりとても難しい。よくよく考えれば当たり前のことを言っているだけなので難しいのは不思議だ。当たり前じゃないけど理解するのは簡単なこともたくさんある。






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てらだこうじ

漫画を描いてます。あと日記も。mail:teradakoji09@gmail.com

漫画日記

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