見出し画像

『愛すべきナマケモノ その意外な生態のドキュメント』(漫画日記7月第2週)

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B074FBCJ6W

『愛すべきナマケモノ その意外な生態のドキュメント』というドキュメントを見た。

「毎日、エサを用意するのが大変」と施設の人が言っていたけど、ナマケモノの1日の食事量は8グラムと何かで聞いたことがあって、実際もっと食べてるのかなと疑問に思った。

8グラムでも160頭程度いて数が多から用意が大変という意味なのか。ただ、ネットやウンチク系の本に書いてあることと実際の動物の行動が違うということは結構ある。ネットだと特にだけど説の正当性より面白さが優先されて広まってしまうことがあるから本当のところはよく分からないことがある。

ナマケモノは霊長類などと比較すれば、ほとんど研究されてない。野生状態で何年生きるかも分かってないらしい。

『カラスの教科書』という本に「カラスの研究はカラスの人気がないし、予算もでないのであまりされていない。」というようなことが書いてあった。

身近な存在のカラスでもあまり詳しい生態などわかっていない点が多く、まだまだ謎が多いそうだ。カラスのような誰でも知ってる存在の動物ですら、あまりわかっていないことが多いなら、ナマケモノのような一部地域に生息地域が限られていてる動物なら研究の優先順位はより低い方だと思う。実際にナマケモノの生態や行動について詳しく書かれているような本は探してもない。そのうち、たんに写真集みたいなものだけでなく生態について詳しく書いてある本が1冊くらいは出てほしい。

----------------------------------------------------------------------------

先日、知人と集団スポーツを応援する心理について話した。

集団スポーツのチーム編成は都度変化するし、極端に考えればある年を境に一気に選手を総入れ替えすることも可能ではある。その場合にそのチームを応援し続けることができるか。そのチームに残るアイデンティティはなんだろう。

集団スポーツでチームごと応援する心理は理解できないが、個人なら応援できるという人もいる。僕もどちらかといえばそうだが、個人であっても集団を応援するときと同じ問題は生じる。野球選手であれば、野球をする能力が優れているから好きになったのに、怪我をしてその能力が差し引かれた状態でその選手を応援し続けることができるか。

そんな感じの話。これは、面白い問題だと思う。

ある属性に惹かれて人の、その属性が差し引かれた場合にその人を好きでいられるか。これは、恋愛にも置き換えられる話だ。例えば容姿が優れている人と結婚した人が「相手の容姿が優れているから結婚したのか?(失礼な質問だが)」と聞かれたら「そんなことはない。そういう属性に惹かれたわけでなくその人だからよかったんだ」と答えると思う。

その時点では代替可能な属性ではないその人の固有性に惹かれているというのは正しいだろうけど、ではその人の属性を完全に剥ぎ取ってその人の固有性のみを愛することができるかといえばこれは思った以上に難しい問題ではある。

誰かを好きになるとき、特にはじめの段階であれば「容姿がいい」「背が高い」「共通の趣味がある」など、ある種の属性に惹かれる場合が多いだろう。

その人の固有性のようなものに惹かれるためには時間経過が必要になる。

※余談だけど永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み』にも似たような問題が扱われているので興味のある人は読んでみてください(104Pあたり)。

スポーツ選手であれば、好きになってすぐ怪我でまったく試合に出られない状態が長く続けばファンであり続けるのは難しい。だけど、好きになって10年くらいは経っている選手であれば怪我でなかなか出場できなかったとしても、数年間でも復帰を待ちわびるような状態になるのは普通のことだと思う。時間経過は何かに思い入れる際にすごく重要な要素になる。

少し別の視点からも考えてみる。直接的に交流のある人の場合は「たんに属性に惹かれた」というのはあまり良いものとはされない。「相手の容姿がいいから付き合っている」というのは、あまりよい印象を持たれない。だけど、スポーツ選手であれば大抵の人はその選手と直接的な交流はないので、ほとんどの場合にはその属性に惹かれているし、そういう需要のされ方は一般的なものだと思う。

特にスポーツ選手の運動能力の場合、小説を書くなどの能力に比べればある一定の時期にしか維持できないものではある。若手の小説家、映画監督などであれば20年後にも今と同等の活動をしている可能性は十分にありえる。むしろ表現が進化している可能性だってある(当然、1、2作で活動が途絶えてしまう人もいるだろうけど、あくまで可能性としての話)。

スポーツ選手であれば、20年後にも同じレベルのパフォーマンスをしている可能性はほとんどない(野球やサッカーであれば、息の長い選手でも30代後半で衰えがきて40歳前後で引退になるということは科学が発達しても昔から変わらないので、高い水準でスポーツが可能な年齢はいつの時代でも限られているはず)。ピークはほんの数年かもしれないし、長くても十数年後には間違いなく衰えがきている。

ある期間にしか持ち得ない能力、属性だからこそ、その瞬間は熱狂を勝ち得るということはある。創作活動と比較すればスポーツが熱狂を生みやすいのもそうした理由もあると思う。

井上尚弥というボクサーがいる。彼に注目している人のほとんどが「とんでもなく強いこと」に惹かれているはずだ。仮に、これからの試合で彼が連続してKO負けしたとしたらファンからの注目度は一気に下がるだろう。でも、そういう不確定な未知の要素を持つからこそ、その瞬間を追いかけたくなる気持ちが強くなる。もしフィクションで井上尚弥のような強さのボクサーを描いても人気は得にくいと思う。これからどこまでのことを達成するか予測できない不確定要素、刹那的(長くとも十数年程度)にしか持つことのできない属性が人を強く熱狂的に惹きつけるという側面は間違いなくある。

ただ、こう考えるとスポーツ選手の応援は不誠実かつ残酷な構造を持っているの確かだ。これはアイドルなどの芸能活動をしている人を応援することにも共通していると思う。ただ、残酷なことを面白く感じてしまうのも人間の一側面ではあるし、それは否定できないものでもある。スポーツ観戦に興味がない人は、たんに興味がないだけの人が大半をしめるだろうけど、そういう残酷さ耐えなれない誠実な人も一部いるのかもしれない。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

10

てらだこうじ

漫画を描いてます。あと日記も。mail:teradakoji09@gmail.com

漫画日記

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。