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歴史修正主義とサブカルチャー(漫画日記8月第3週)

『歴史修正主義とサブカルチャー』という本を読んだ。いわゆるネトウヨ系の人たちが支持する歴史否定論や保守言説の内容自体への批判ではなく、そういった言説がどういったメディアで消費されてきたかを分析している。

読んでいて、地球は球体でなく平面であると主張する人たちを追った『ビハインド・ザ・カーブ 地球平面説』というNetflixのドキュメンタリーを思い出した。

『ビハインド・ザ・カーブ 地球平面説』で印象的だったのは地球平面説支持者たちが説の正当性を主張するために何種類かの実験をして、その結果は地球が球体であることを裏付けるようなものになってしまい、そこで自説の誤りを認めるかと思いきや「これは測り方が悪かった」と言い出して自分たちでした実験の結果を認めないという場面。

彼らの主張は結局のところ「結論ありき」でしかないので、自らの主張と相容れないものは無かったことにするか見て見ないふりをする。

小さな積み重ねによって何か推測したり結論を出すわけでなく、先に出したい結論があるのでそれにそぐわないものは捨象してしまう。

だから、「正しさ」は彼らには響かない。どんな事実や結果が出ようと自分の出したい答えは、もう決まっていて、そして、それが動かないからだ。

陰謀論者と歴史修正主義者はとても思考回路が似ている。歴史修正主義的な言説も陰謀史観によってもたらされていることも多いので似ているというより両者は同じような存在だ。ただ、地球平面説支持者の方がお金をかけて実験器具を買い揃えて行動をしている分、日本の歴史修正主義者たちよりはまだ印象がよく感じてしまった。

歴史修正主義的言説の語り手はディベートという形式を好んで用いてきたらしい。ディベートは複数の論点から話し合う議論や討論とは違い二項対立図式によって説得性を競う。二項対立図式を用いることによって「通説」に対する「俗説」を二大通説の一つのように地位を格上げしてしまう。 

二項対立図式を作り出すことによって「俗説」や「傍流」(トンデモな)の意見も「通説」と対等なものとして扱われるという指摘はなるほどと思った。

これは、書き手が価値判断をくださず、両論併記的なまとめ方をして中庸を装う態度にも近しいものを感じる。

様々な意見が飛び交う中で、正当性もある意見とトンデモ説や流言飛語を並べ立て「色んな見解がある」「解釈は人それぞれ」と両論併記することは中立的な立場といえるのか。

例えば、地球が球体であるという主張と地球が平面であるという主張が対立したとき、その対立に対して「色んな考え方がある」と自分の価値判断は何もくださぬまま、その議論をまとめることは中庸な意見を述べたわけでも、中立な立場に立つことでもなく、むしろ「地球平面説」が地球が球体であることと並び立つ一つの見解であるような立場をとるわけで、それはそういった俗説やデマに加担しているともいえる。

ディベートにせよ両論併記にせよ、ある種の相対主義が陥ってしまう問題ともいえるし、安易な相対化をしてしまうことは一見すると穏便な態度でいるようでいて、かなり問題のある態度ではあるとは思う。

あと、ディベートは正しさでなく説得性を競う競技的なものであり、真理性の決定には関与しないものでもあるという指摘も印象に残った。

説得性を競うものになれば、言いくるめること、揚げ足をとること、何を言われても(有効な証拠を提示されても)態度は強固に保ったままでいることが重要になってしまう。歴史研究において正当性より説得性を競うことに何の意味があるのかという問題になる。

議論において正しさより説得性が優位に立ってしまっている事態はディベートに限らずネット上でもよく見かける。

ようは口喧嘩に近い。正しさより、うまいこと言いくるめた方が勝ちになる。個人的には論破が目的化した議論はただ虚しいと感じる。とはいえ、論破することそれ自体はある種の快楽を伴うだろうし何か言って相手の溜飲を下げたという話はウケがいいので、真実を追わなくてはいけない場面でも論破ゲーム化してしまうという状況は今後より増えていく気もする。

この本は状況分析としてはとても勉強になったけど、じゃあ歴史修正主義者たちとどう対話すればいいのか(そもそも対話が可能なのか)という結論の部分になると、ちょっとまだ明確な答えは出てないと思う(答えが出るような話ではないけど)。

状況的には歴史修正主義者、レイシスト、ネトウヨ的な人間は増えるか勢力を増しつつあるだろうし、これからその傾向は加速していくんじゃないかと思う。

ある歴史的事実に対して「実際には見てない/体験してない」から確証は得られないというタイプの反論がある。これを言い出せば歴史を語ること自体が不可能になるし、あらゆる史実を無化してしまう。なので、その反論をする人が支持している説も同様に証明しようがなくなるので、こういった反論は諸刃の剣ではあるけど、それはともかく、今後は戦争経験者も減っていくし、「実際には見てない/体験してない」型の反論にはより説得力が増していくんじゃないか。

実際にホロコーストや南京事件の否定論が90年代あたりから出てきたのは戦後50年近く経って記憶が遠くなった影響もあるだろうし、今後は歴史否定論者の影響力も高まっていく可能性もある。レイシズムに染まった人間が増えていくのは本当に嫌気がさすけど、今後の状況は改善される気配もなく、より悪化していくんじゃないかと思うと暗い気持ちになる。

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てらだこうじ

漫画を描いてます。あと日記も。mail:teradakoji09@gmail.com

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