ニック・ランドと新反動主義(漫画日記6月第2週)

ブログを毎週書くようになって半年が過ぎた。

毎日だと絶対、挫折するので毎週にしたけど一応、一回も休まず続いている。

ブログを書こうと思ったきっかけは文章力を上げたいと思ったからだけど、文章力が上がったかはともかく書くスピードは少し上がった。

文章力が上がったかどうかは自分では判別しにくい。まず、文章は読み返すのが恥ずかしいので最初の頃に書いたものは読み返したくないし、最近のものもあまり読み返す気が起こらない。

漫画も過去に書いたものは恥ずかしさを伴うものだけど、なんか個人的には文章の方が圧倒的に恥ずかしく感じる。

とはいえ半年も続いたのはいいことだ。

最近、Twitterやnoteに上げるようの漫画を滅多に描かなくなってしまったので、今後はもっと描いていきたい。

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木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義』。

この本については、ものすごくよくまとまっているnoteの記事があったので、本の概要はこれを読んでもらればいいと思う。

「加速主義」とは「資本主義のプロセスを加速させることで既存の体制や価値観の転倒を志向する思想的立場」を指す(同じ著者の前著『ダーク・ウェブ・アンダーグラウンド』で初めて「加速主義」のことを知った)。

加速主義の中でも主に、右派加速主義・左派加速主義・無条件的加速主義の三つの分派があって(その中で対立もある)、ニック・ランドは右派加速主義に属する。

右派加速主義は「資本主義のプロセスを加速させることで、シンギュラリティを目指す立場」で、単純にこんなことを聞いてもヤケクソのようにしか感じなかった。

実際、そういう批判があるようで「まあ最もだよな」という感じ。

世界的に見て社会状況が決して良いとはいえない面も多々あるだろうし、将来に明るい未来が見えなくなると「破壊せよ」「脱出せよ」みたいな思想や言説が出てくる(またそれが一定の人に支持される)状況が生じるのは理解できなくもない。

問題は、現状況を打開して脱出できたとしてもその先の場所が用意できるかどうかにあるはずで、そこに触れない思想はなんか絵空事のようにも感じる。そして、そのような批判もやはりあるようだ。

この本で、個人的に一番興味が湧いたのはニック・ランドの「脱・人間的」な思想と「思弁的実在論」との関係性についての解説だった。

「思弁的実在論」は、人間の認識と存在の相関にしかアクセスできないというカント以降の哲学を「相関主義」と呼び、それを批判し、人間の認識なしに存在をとらえようとする立場のこと。

この「思弁的実在論」の「脱ー人間中心志向」はニック・ランドのカント批判からも影響を受けていて「加速主義」的な思想からの影響も少なからずあるということ。

「思弁的実在論」の論客の中で代表的な一人にカンタン・メイヤスーという人がいる。メイヤスーの『有限性の後で』は難解ではあるので理解できているかは怪しいけど(また、読み直したい)、「人間の認識」を取り払った上で存在のことを問題にするという考え方はすごく面白いと思った。

ただ、こういった哲学的問題もある種の人間のルサンチマンに絡め取られると「人間なんて不要」みたいな思考とつながり、もとの存在論をめぐる理論的な問いはおざなりにされ、ある種危険性もある思想と結びついてしまう可能性もあるのかもなんて思った。本の中では、あくまで、ニック・ランドの思想と「思弁的実在論」には関連性があるという話が書かれているだけなんだけど。

『ニック・ランドと新反動主義』はちょっとでも思想、哲学系の分野に興味がある人なら勉強になるし薄めで読みやすいののでオススメしたい本。







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てらだこうじ

漫画を描いてます。あと日記も。mail:teradakoji09@gmail.com

漫画日記

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