見出し画像

2年間の苦しみが報われた話

どうも、こんばんは。
今晩、生きていてTOP10に入るレベルで本当に嬉しいことがあって、まだ動揺しているので気持ちを落ち着けるためにnoteを失礼します。

皆さんは苦しみながら何かを取り組んできたことってありますか?
大学生の私のここ数年のそのような取り組みは「学生団体の運営」でした。大学2年の春に設立した団体(詳しくは言えないのですが学生団体もどきです)は喧嘩したり陰口を叩かれたりメンバーが脱退したりと骨組みがしっかりとしていない学生団体あるあるを極めながらも泣き笑いで卒業間近の今までリーダー兼設立者として頑張って運営していきました。途中「なぜこんな苦しいばかりで誰にも褒められないことをやっているんだろう」と100回くらい悩みました。団体に加入した方から辛辣なことを言われたことも、無言で辞められたことも意地悪な先輩に団体の取り扱うテーマについてからかわれたこともあります。その度自身の至らなさや相手への怒り、そこからの自責に苦しめられてきて、楽しくて満足した記憶なんてほぼありません。9割9分苦しい、そんな状態を2年間過ごしてきました。そしてこの苦しみは「リーダー」という役割に自分にしかわからない感覚でもあって、同じ団体のメンバーに軽く相談した時には「考えすぎなんじゃない?」と言われたこともあります。
でもなんでこんなに苦しいのに辞めなかったんだろう、と思うとその理由もよくわからなくて。ただ昔から負けん気が強い私は「ここで団体を潰したら負けることになる」と漠然と思っていて、とにかく苦しくても続けようと心の底で密かに誓っていました。誰に何に負けるというのか?という話でもあるのですが。
そんな団体ですが、ここ一年はメンバーも定着しPDCAサイクルをガンガン回しながら活気のある場として運営できていました。しかし私はやはり苦しいままで、以前の状態を知っているからこそ「これで本当にいいのか」「また陰口を叩かれているかもしれない」「私は正しいのか」と常に悩んでいました。もともとネガティブな性質なこともあって被害妄想気味になりながらもそれは隠しつつリーダーをしていました。

そんな団体の活動は現メンバーが4年生がほぼなこともあり、来年の卒業式前には活動を一旦休止させることになります。そして先週がこの団体の年内最後のミーティングで私は諸事情で出れませんでした。「年内最後のに出れなくて申し訳ないな〜来年会う時に謝らなければ……」などと思いながら今日を迎えたわけです。そして今日の夜、家のポストにゼミのメンバーの1人のAちゃんからの郵便物が入っていました。彼女に年賀状を送る際に住所を送ったのは覚えているのですが、なぜこの時期?と思いながら封を開けるとメッセージカードの束が入っていて、そこには「(私の本名)、学生団体の運営2年間ありがとう!」と表紙に書かれておりその下には1人1枚各メンバーからびっしりとメッセージが書かれたカードがあって、本当に死にほどびっくりしたんですよね。こんな素敵なプレゼントを他人からもらったのは初めてで、本当に嬉しかった。そして私みたいな不出来なリーダーに送ってくれる温かい言葉が嬉しかった。別に何か賞を取ったわけでも結果を残せたわけでもないリーダーである私に、こんなことをしてくれるのが本当に嬉しかった。
カードには自身が尊敬していたメンバーから「あなたが一番優秀なリーダーです!」とか「話しやすい空気をいつも作ってくれた本当にありがとう」とか、色々書いてあって、本当に涙が出ました。
ただのカードだと言われたらそれで終わりだけど、私はどんな賞や肩書きよりこのカードが嬉しい。2年間苦しいばかりだったことになんかけじめがついたような、報われたような気持ちになって他のことなんてどうでも良い些細なことな気もした。
本当にシンプルな話ですが、この行動に詰まっているメンバーの気持ちが泣きたくなるくらい美しいなと私は思っています。苦しくて何回も泣いたけど、この気持ちを受け取れたならそれも美しい思い出なのだと思います。

という事で、気持ちの整理がついてないですが取り合えず感謝のラインを送ろうと思います。では、さようなら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?