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「親ガチャ」について考えてみる。

昨今話題になっている「親ガチャ」という言葉。

自分の両親や生まれた環境は選べない、完全に運任せだという意味のネットスラング…とのことです。

この言葉については、このような認識を持つ若い人がいることについて肯定的な見解もあれば、「何でもかんでも親のせいにして努力を怠っている」という否定的な考えもあるようです。

私は、この言葉を聞いて、日本でも「階層」というものが固定化してしまって、それを踏み越えようとするエネルギーが湧いてこない人が大勢になったのかな、とちょっと切ない気持ちになりました。

この仕事をしていると個人破産の案件をすることも多いのですが’(というか今の所属事務所がそうなのですが)、ここ数年、2回目の自己破産という方がかなり増えた印象です。

親子がともに自己破産というパターンもちらほら見られます。

一度貧困に陥るとそこから立ち直ることは難しいし、貧困家庭に生まれたら子も貧困に陥る連鎖もある。

一度決まってしまった「階層」から抜けられないのが、いわば運命化しているように見えてしまうのです。

「親ガチャ」の問題は、単純な貧富の差の問題ではないという方もいるようです。

ですが、背景に所得格差の問題が潜んでいるのは間違いないように思います。

司法試験の世界を見ても、経済的に余裕のない人がすんなり合格するのは難しい世の中になった気がします。

私は、ロースクールも受験回数制限もない旧司法試験時代の合格者ですが、このころは、自分でアルバイトしながら独学したり予備校代をねん出したりして受験している人というのが結構多くいました。

私もその一人でした。

親の経済力がそれほどなくても、自分の力で頑張って合格にこぎつけるのが、今よりは難しくなかったように思います。

その分バイタリティーがあって、個性的で、ギラギラした人も多かったように思います。

問題発言になるかもしれませんが、新司法司法試験開始以後、優等生的な弁護士が増えたなあとおばさんは思います。

それが良いとか悪いとか言うつもりはありませんが、どんな社会でも、様々な出自の人が同居することによって発せられるエネルギーが、新しいものや個性的なものを生み出していくように私には思えます。

「親ガチャ」という言葉は、今の日本が、そういうエネルギーが不足している社会であることを示すものではないか。そんな風に感じられるのです。



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